「エコール・ルイ・スクラヴィス」の物語
写真と文:ステファン・ジレ

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「ルイ・スクラヴィスが、フランス北部の町オンブルー(Hombleux)の公立学校の名付け親だって知ってるかい。僕はその学校の教師。きょう、『ルイ・スクラヴィス学校』の1周年を祝うために、ルイは僕らと一緒にいたんだよ」
突然、こんなメールを受け取ったのは、2001年1月23日。ついこないだのことでした。
オンブルーは、ピカルディ地方ソム県(Somme)の町。ソム県の一番大きな都市アミアンには、ラベル・ブルー Label Bleuのオフィスがあります。
メールの主、ステファン・ジレは、この学校で7歳から8歳の子供達のクラスを受け持つ先生です(この学校は、幼稚園と小学校が一緒になってるんですね)。しばらく前にるいるいサイトを見つけたという彼は、北フランスの小さな町の学校がどうしてルイの名前を持つようになったのか、メールにたくさんの写真を添えて教えてくれました。
このページでは、ステファンの文章と写真で、子供達とルイの物語を紹介したいと思います。まずは、2000年1月22日、ルイが子供達と初めて出会った日と、同年3月29日、子供達が見に行ったアミアンのコンサートの写真から。

École Louis Sclavis
2000年1月22日、学校の命名式で。ルイとオンブルーの町長さん。
話は1999年の年末に始まった。2歳から12歳までの子供達が4つのクラスに通う僕等の学校には名前がなく、単に「オンブルー公立学校」だった。でも学校のスタッフはずいぶん前から、僕らの学校にもっと個性のある名前をつけたいと願っていた。 この年、僕らは子供達にいろんなタイプの音楽を発見してほしいと思って、たくさんの音楽を聴いていた。ジャズに詳しい幼稚園の先生(女性)は、クラスの子供達にルイ・スクラヴィスの音楽を聴かせた。それから、僕らはいろいろな曲を聴かせて子供達にお気に入りを選ばせた。選ばれた曲の作者の名前を学校に名付けることにしたんだ。もう気づいたよね、子供達が選んだのはルイ・スクラヴィスだったんだ(この子たちが聴いたのは「Danses et autres scenes」収録曲だ)。

ただ、自分の名前が学校名になることをルイが認めてくれるかどうかわからなかった。そこで幼稚園の先生が、ラベル・ブルー気付で彼に手紙を書いたんだ。彼女は、これが教師陣だけではなくて子供達の選択でもあることを説明した。ルイはこの働きかけに喜んで、承諾してくれた。それから、彼は2000年1月22日土曜日(写真を撮った日)に初めてオンブルーを訪れて、午前中を子供達と一緒に過ごしてくれた。子供達はルイに手作りのプレゼントを用意し、彼は僕らのもてなしにすごく感激してくれていた。その後、彼は僕ら大人と一緒に昼食をとり、夕方、TGVで帰っていった。

このとき、彼は子供達の前で少し演奏もしてくれたんだけど、僕らは子供達が一度も行ったことがないコンサートでの彼を見たかった。アミアン文化センターのジャズフェスティバルのプログラムで彼のコンサートがあるというので、その日は学校の全員(100人)が会場に向かった。この日の彼はアルド・ロマーノとアンリ・テクシェとステージに立った。「Carnet de Routes」を教室でよく聴いていた僕ら全員にとって、大きな幸福に包まれた一夜になった。客席にいる僕らを見つけたルイは感激して、僕らに来てくれてありがとうと言ってくれ、僕らのために特別にソロを1曲吹いてくれたんだ。

それ以来、僕らはときどき彼に学校の様子を知らせる手紙を出し、彼のほうは、自分が行った国の写真を送ってくれるようになった。

きのう彼が学校に来てくれたのは、この友情が続くように、年に1度僕らに会いに来ることを彼が決心したからなんだ。朝こちらに着いて、ルイは彼と話ができる子供達と1日ずっと過ごした。

 


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