16 aout 2000 -
しばらく前に、ルイが再びベルトラン・タヴェルニエの映画音楽を手がけるらしいという情報を、ある方から教えていただいたのですが、3色トリオで活躍中のヴァンサン・クルトワのHPで、「10月11〜14日レコーディング(ルイ・スクラヴィス)」の一文を見つけてしまってさあ大変。これはその映画音楽のことか。それとも別にレコーディング予定があるのか。書いた本人に聞くのが一番だということでヴァンサンにメールを出していたところ、忙しい中ちゃんと返事をくれました(感涙)。
「その通り、タヴェルニエのサントラのレコーディングだよ。古い映画を現代風にリメイクするんだ」とのこと。これだけ読むと昔の名画をリメイクするんかい、と思ってしまうんだけど、なんでも新作は「サイレント映画」だという話もあります(21世紀最初のサイレント映画か?)。ランスティテュ・リュミエールの館長も務めるリヨンっ子のタヴェルニエだから、それもあり得るですねー。
ところでヴァンサン・クルトワが今やっている「3色トリオ」っていうのがまた豪華で、メンバーを書いておきますと:
trio vert (緑):マルク・デュクレ(g)、ドミニク・ピファレリ(vln)
trio blanc(白):ノエル・アクショテ(g)、ピエール・ファーヴル(perc)
trio rouge(赤):ルチッラ・ガレアッツィ(vo...名前の読み方自信なし^^;ミッシェル・ゴダールと共演している人ですねー)、ミッシェル・ゴダール(tuba,serpent)
あんまりすごいので、このトリオのいずれかでレコーディング予定を訊ねたところ、「トリオでのレコーディングはわからないな。また別のプロジェクトで来年レコーディングする予定はあるけど。そのプロジェクトはまだフレッシュすぎるから内緒」だって(^^;)でもこの3色トリオみんな聴いてみたいよねえ。ちなみにヴァンサンは1968年生まれでアクショテと同い年、しばらく前にJazz Magazineに載っていたインタビューによると2人は16歳のときから仲良しらしいです。
話かわって、ブルターニュのシンガー、デネーズ・プリジャンのアルバム「Irvi」はフランスではかなり話題になってるらしく、ネット上でもプリジャンが取材を受けた記事がいくつか見つかります。そのなかでも彼が直接ルイについてコメントしている記事を見つけました。
ここでプリジャンは参加ミュージシャンのなかから、デッド・カン・ダンスのLisa Gerrard、ノワール・デズィールのベルトラン・カンタ、そしてルイについて語っています。ベルトラン・カンタへのコメントもルイの参加曲と関わっており興味深いものなので、(一部よくわからないところはあるがかまわず^^;)一緒にご紹介しちゃいましょ。どうしてベルトラン・カンタとの共演曲があえて「ほとんど歌なし」になったのかも、判ります。でも例のごとく訳文は信用しないように。
ベルトラン・カンタ:
ブルターニュ音楽は開かれた音楽であり、ジャズ、ルーマニアのタラフ、アイルランドの音楽と出会ってきました。ところが我々のすぐそばにある文化のことは忘れていた。それが、アラン・バシュングやベルトラン・カンタといったすぐれたシンガー達によって伝えられるフランス文化です。(ブルトン語とフランス語は)大きく異なる2つの言語であり、2つの思考方法です。カンタの書く詞が持つとてもダークな面は、ブルターニュのgwerz(哀歌)の悲劇的な側面と通じ合うものですね。それに僕は彼の冷たい声が大好きです。ただ、彼に彼のスタイルで歌わせ、僕が自分のスタイルで歌うという形では、行き詰まることになったでしょう。2つの世界を結びつけるのは困難でした。そこでテクストを優先させました。このテクストは自然を忘却すること、自然の非神聖化について、ある時代のブルターニュについて語る呪的朗詠です。僕は、3〜4日かけて行われる通夜で唱えられる死者への祈祷のスタイルをとりました。これは数年前に僕自身が実際に聴き観察できたもので、古代の異教的な側面がみられます。カンタの声は「叙唱」などをはるかに越えてしまっていますね。2つの声を結びつけているのは、原子炉の唸りのような強いドローンと、スクラヴィスのクラリネットです。
ルイ・スクラヴィス:
スクラヴィスはジャズのフィールドにとどまらない柔軟なミュージシャンです。彼はすでにブルターニュのミュージシャンとの共演経験があり、ブルターニュ音楽に取り組んでいました。今回、僕が望んだのは彼が歌をバックアップしてくれること、新たな色彩を歌に加えてくれることでした。ブルターニュの伝統的な音階の「アルカイック」な側面に彼は興味を持っていました。実際、彼が参加した2曲は精神面において最もブルターニュ的なものになっています。彼はこれまで4分の1音(?^^;)に取り組む機会が少なかったため、(レコーディングへの参加は)彼にとってクラリネットで新しい奏法をつくり出す一種の挑戦ともなりました。彼は新しい答えを見いださなければならず、その結果、当初は予想もしていなかったような色彩をもたらしてくれたのです。
(以上、2000年7月2日付 Journal d'Alsace より)