27 juin 1999 -
5月の終わり、リヨンに住んでいる(ルイと同じ)というフランス人の方から届いたメールに、こんなことが書いてありました。
この映画は、フランスの社会状況をそのまま撮し出した1枚の写真だ。撮影の行われたフランス北部は、経済的にも人間的にも悲惨な地域なんだ。クラリネットの響きは悲しい、けれどたくさんの希望も聴こえてくる。・・・スクラヴィスは、ポリティックな、そしてアーティストとしての選択に基づいて社会に関わっているコンポーザーだ。フレッド・フリスやロバート・ワイアットのようにね。
この映画とは、ベルトラン・タヴェルニエ Bertrand Tavernier 監督の最新作『Ca commence aujourd'hui』(邦題:今日からスタート)。6月12日、横浜フランス映画祭でプレミア上映が行われました。
舞台はフランス北部の小さな町。かつて石炭採掘で潤っていたその町も、いまは失業と貧困がもたらす多くの問題を抱えて解決策を見出せずにいる。
主人公ダニエルは、その町の小さな公立幼稚園の若き園長。園長といっても他の教師達と同様に1つのクラスを受け持ち、子ども達を教えています。そして彼には「詩人」というもう一つの顔がある。
幼稚園での仕事は、常に山積みの問題との闘い。貧困から家賃を払えず、電気さえ止められた生活に絶望しアルコール依存症になってしまう母親。失業から抜け出せず気力を失い、自分の子どもを時間通りに幼稚園に連れてくるのもおぼつかない若いカップル。愛人の連れ子に暴力を振るう男・・・
ダニエルは常に杓子定規の対応しかできない行政とも闘いながら、日々新しく生まれる問題に立ち向かっていく。
脚本を書いた詩人ドミニク・サンピエロ Dominique Sampiero は、自身もフランス北部の幼稚園の園長であり、映画でダニエルの作品として読まれる詩は、すべて彼自身の作品です。
横浜フランス映画祭での舞台挨拶でタヴェルニエ監督自身が語ったところによれば、サンピエロは監督のお嬢さんティファニーの恋人で、娘が初めて連れてきた彼から幼稚園での体験を聞かされて感動し、「この話を映画化しないということは、極めて卑劣な行為である」と感じ、サンピエロを説得して初めての脚本を彼に書かせたのだそうです。
だから、脚本に織り込まれたエピソードは皆、サンピエロ自身の体験とほとんど重なると思われるのですが、そこには、日本人がふつう抱くような「フランス」のイメージからはかけ離れた現実が描かれます。
(ダニエル)組合費の支払いは義務ではありません。でも、あなたの滞納は2度目です。皆があなたのように払ってくれなくなったら、この先どうなりますか?
このお金を何に使うとお考えです?クリスマスプレゼントや復活祭の卵、おやつを買うんです。そういうことに使うのはちっともおかしくないでしょう?私の自動車修理代に充てるわけじゃないんだ!
ブリーさん、3ヶ月ごとにたった30フランですよ、なんとかなるでしょう?
(ブリー夫人)その30フランで月末までやりくりするんです。
(ダニエル)どういうことです?今日は23日、月末までまだ7日ある。まさか30フランで家族4人が1週間生活するとでも?
(ブリー夫人)ええ、その通りです。牛乳と乾パンを買ってきて、乾パンを牛乳に浸して食べて、そうやって1週間生きながらえるんですよ!(*1)
それは、映画に出演したり、あるいは現場の手伝いをすることで制作に関わった、この町の人々が直面している現実でもあります。映画の公開に先だってフランスで発売された、シナリオ収録写真集に掲載されたある男性の証言...
団地に住んでる男なんだが、酒を飲んでは自分の子ども達を殴るんだ。民生委員さんの勧めで、私は役所に手紙を書いたよ。私がその目撃者だったし、今だってそうなんだ。つい昨日も、奴はまだ9ヶ月の赤ん坊に手をあげていたよ。そんな父親がずっと家にいる。じゃあいったい、私の出した手紙はどこへ行ってしまったんだ?
(Jean-Marc Deben)(*2)
物語は、ダニエルと幼稚園で働く女性の教師や保母たち、幼稚園に通う子ども達とその親達、ダニエルの恋人ヴァレリアやヴァレリアの連れ子レミ、そしてダニエルと彼の両親、特に父親との関係を織り込みながら進み、いくつかの事件やひとつの大きな悲劇が起こる。そして、それに対し何か根本的な解決策が提示されるわけではない。けれども、シネマスコープの画面いっぱいに写る幼稚園の子ども達は、演出の意図を超えて生き生きと歌い、笑い、おしゃべりをし(突然、赤ペンを持ってわけのわからないことを話し出す男の子のなんて素敵なこと!そしてその話を理解できないまましっかり聞いて受けとめるダニエル−主演のフィリップ・トルトン Philippe Torreton−と、カメラのこちら側にいるスタッフ達!)、物語は決して出口なしの絶望と息苦しさには陥らず−ダニエルは愛するパートナーや、素晴らしい幼稚園のスタッフたち(本物の先生や保母さんとしか思えない素敵な女性たち、そして美人でオシャレで行動力あふれる新任の乳幼児担当保母、サミア)に支えられながら希望を求め、そして最後には確かな希望を、町の人々とスクリーンを見る者に伝えて、映画は終わります。
映画のキャスティングの日、私は子どもを出させるつもりで連れていったんです。まさか自分が出演することになるなんて夢にも思いませんでした。私に役がついたという電話を受けて、何かが変わりました。その電話が、私にも何か良いことができるんだって請け合ってくれたんです。
(Johanne Cornil-Leconte)(*3)
この映画。ベルトラン・タヴェルニエの映画作法に不満がないといえばウソになります。映画作家としてタヴェルニエをどう評価するか、というのは意見の分かれるところでしょう。でも、これは作られなければいけない映画であったし、また、稀有な作品となったと思います。
それは、たとえ2時間ほどの短いあいだであっても、見る者に、あのフランス北部の町の人々と、そして素晴らしい笑顔の子ども達と、「共に生きる」「共に考える」体験をさせてくれる映画だということです。
そして、音楽。タヴェルニエ監督のたっての希望でこの映画の音楽を担当したルイ・スクラヴィスは、映画の台詞や引用される詩を自ら選び、サウンドトラックのなかに散りばめました。映画を観る前に聴いても充分に聴き応えのあったサウンドトラック盤は、しかし、映画を観たあとに聴きかえすと、収録された台詞の場面場面が鮮やかによみがえり、映画のなかで慎ましく寄り添っていた音楽の持つ力に、改めて気づきます。
この映画のために僕は、ポケットの奧に見つかるもの、思い出のかけら、人が心に抱いている重荷や喜び−そんな音楽を書いてみた。
(Louis Sclavis)(*4)
たぶん、正式公開も予定されているであろう『今日からスタート』。
どうか多くの方が、この映画と出会うことができますように。そして、Louis Sclavis の名前も知らないだろう多くの方の耳に、彼の美しいワルツの旋律や、希望にあふれた吹奏楽のテーマが届くことを、願っています。
(*1-3):"Ca commence aujourd'hui"
(1999, Editions Mango Images: Albums Dada / ISBN:2-84270-135-6)
(*4):"Ca commence aujourd'hui" サウンドトラックアルバム掲載のルイのメッセージより
写真は、横浜フランス映画祭会場に抜かりなく(^^;)サントラ盤を持って行ってタヴェルニエ監督にいただいたサイン