リヨンを出発して2時間、TGVがパリ・リヨン駅のホームに到着したのは午後5時。
本格的に雨が降っているけれど、湿度が高いせいかあまり寒くはありません。
ホームの正面にある待ち合わせ用のバー(というかカフェテリアみたいな感じの店)に向かって歩いてゆくと...私の名を呼ぶ声。ミッシェル・ドネダです。迎えに来てくれてたんですうううう。日本ツアー以来、2カ月半ぶりの再会。嬉しい。すっごく嬉しい。
うながされて店内に入ると、奥の方のテーブルでドミニクが待っていました。e-mailのやりとりだけをずっと続けていたドミニクに、やっと会うことができたのです。
ドミニクとは、インターネットを通じて知り合いました。まだ、るいるいサイトを作る前、ルイの参加ディスクを探し回っているうちに見つけたのが、 CCAM というwebでした。「アンドレ・マルロー文化センター」という物々しい名前に、これはいったいどういう施設なんだろうと思いながら、「日本からディスクを買うことは
できますか?」とe-mailを出したところ、すぐに返事を送ってくれたのが彼だったのです。
「アンドレ・マルロー文化センター」がナンシーに近いヴァンドゥーヴルにあり、ここで、フランスで一番先鋭的な音楽フェスティバル「Musique Action」が毎年開催されていること。20代の頃からセンターの責任者を務めているドミニクが、フェスティバルやレーベル「Vand'oeuvre」でのディスク制作はじめ、センターのプログラムを全てしきっていること。斎藤徹さんと澤井一恵さんが、バール・フィリップスのグループに参加してフランスやベルギーをツアーしたとき、全面協力していたのもドミニクだったこと...そういったことが見えてくるのにはずいぶん時間がかかりました。
ドミニク自身もギタリストで、60 etages とか etage 34 っていうロックバンドのメンバーとしてCDを作っています。最近作はこれ。なんとベニャト・アチアリがロックしている!意表をつくがカッコいいのだ!
Etage 34 & Benat Achiary 33REVPERMI, 9910 Benat Achiary: voice, percussion Daniel Koskowitz: drums Olivier Paquotte: bass guitar Dominique Repecaud: guitar |
そうそう、ドミニクは今月末に来日するパスカル・コムラードとも仲良しで、コムラードの『Oblique Sessions』に入っているカンの「SHIKAKU MARU TEN」で、ノイジーなギターを弾いているのが彼。というと、聴いたことある人がけっこういるかも。(このアルバムがレコーディングされたのも、CCAMのスタジオなのだ)
そんなわけで彼は、フランスに行くことがあったら、ぜひ会いたいと思っていた人のひとりでした。出発前には、むりやりヴァンドゥーヴルまで行くことも考えたくらい。でも、CCAMのwebをチェックしたら私の滞在中はなあんにもやってなくて、思い切り冬休みモードだったので、だめだこりゃー絶対会えっこないや、とすっかりあきらめていたのに。まさか、4泊するだけのパリで会えるなんて。それも、ふだんは南仏のトゥールーズよりさらに奥地なんてとこに住んでいるミッシェルと一緒に!なにかが、こういう風に導いてくれたんだとしか思えない幸運でした。
CCAMの出してる本に載っている小さい写真で一応見たことはあったけれど、目の前のドミニクは少し険しい感じの顔をしたおにいさんで、話し方も物静かだし、すこおし緊張。でも、話していると、e-mailを通して感じていたとおり、すごくいい人なんだってことが伝わってきます。
私は、斎藤徹さんから預かっていた、徹さんとミッシェルのライブ録音3種のCDRをふたりに渡しました(これが3枚ともCD化決定。すばらしいのよ。乞うご期待ね)。
「パトリックと待ち合わせすることになってるから、東駅前のカフェに行こう」
と、ミッシェルとドミニクがメトロ・マップを取り出して路線や乗り換えの有無を真剣にチェックし始めました。そう、ふたりともパリジャンじゃないので、パリの交通事情に明るくない!こんなところで、妙に親近感を抱いてしまう私(^^;)おまけに、はじめに出したマップがとても小さかったので大きいマップに変えながら「僕らもジジイになったからさあ、目が見えなくてねえ」とドミニクに物静かな口調のまま言われたら、するするっと緊張がほどけてしまいました。
東駅を出たところにあるカフェに入ると、大きな荷物をごそごそしていたドミニクが「これは君にプレゼント」と1枚のCDを渡してくれました。
Demetrio Stratos / CONCERTO ALL'ELFO Cramps / EMI, 7243-8-57443-2-7 |
アレアのヴォーカル、ディメトリオ・ストラトスのソロ・ライヴアルバムの
リイシュー。レコードやさんで安く売っていたらしいのだけど、えー、どうしてどうして?ベニャト・アチアリとか好きなら絶対好きなはずだって読まれちゃったかなあ(^^;)
「彼は残念ながら亡くなったけど、すごい才能にあふれたヴォイス・パフォーマーで、重要なインプロヴァイザーのひとりなんだ。このアルバムは素晴らしいよ」
なんかびっくり、そして感激してしまいました。それにしても、
「で、ミッシェルは日本でどんな風だった?ちゃんとお利口さんにしてたかい?」
なあんて、常に物静かな口調で聞いてくるドミニクはシブカッコいいです(^^;;;
やがてパトリックが到着。パトリックは、私も一応(^^;)入っているFennecっていうメーリングリストのメンバーで、Peace Warriorsというファンジンに記事を書いていて、ドラジビュスのフランクとも仲良し。澤井一恵さんや斎藤徹さんのファンで、フランスで出た日本のインディーズ音楽本(私はパリに行くまで実物を見たことがナカッタ...)でも、徹さんのことを書いているんだって。ようやく会えたことを喜びあいました。
ドミニクとミッシェルとパトリックが集まったのは、2001年のMusique Action フェスティヴァルに向けた、あるプロジェクトに関するミーティングのため。このあとは3人で、計画実現に向けたスケジュールやどこに何を交渉するかなどの相談が繰り広げられたため、私には内容がよく把握できませんでした(^^;;;
でも、ぜひぜひ実現してほしいのだなー>そのプロジェクト
あっという間に時間は過ぎ、ドミニクが列車に乗る時刻になってしまいました。
「2001年のフェスティヴァルにはおいでよー」と言ってくれるドミニク。ふええええん、がんばりますう。
残った私達は、プラス・ディタリー Place d'Italie のヴェトナム&チャイナタウンに場所を移して、なぜか「HAWAI」という名前のヴェトナムレストランで夕食をとりました(ゴー・ミヨーで紹介されるようなけっこう有名なレストランで、いつも混んでいるらしい。でも値段は安い)。ずっとフランス的な食事が続いていた(それも好きなのだが)ところに、ビーフンは新鮮なおいしさでした。
「ドミニクって、最初に会ったときはちょっと怖かったけど、すごくsympaだよね」
「うん、だけど彼がちょっと険しい顔をしているのは事実だよ。センターの運営やプロジェクトのために、いつも闘って、苦労しているからね...」
と、ミッシェルがいいました。
フランスの文化行政は、日本からみるとものすごく充実しているように見える。だいたい、ドミニクみたいな人が市の文化施設の責任者になって、Musique Actionみたいなフェスティヴァルを毎年開催できるってこと自体、信じがたい。だけど、現場にいる人たちからみれば、問題は山のようにあるらしい。ミュージシャン、レーベル主催者、コンサートのオーガナイザー、それぞれの人たちが、それぞれの立場で、常に闘っている。そんな状況のほんのはじっこの部分を、垣間見たような気がしました。
(つづく)