昨年、活動20周年を迎えたリヨンの音楽集団ARFI。その20周年記念ブックでは、創立時からのメンバーであるアラン・ジベール、モーリス・メルル、ジャン・メルー、アラン・ルレーの4人に、1990年から参加しているパトリック・シャルボニエが加わり、ARFI結成の由来から現在の活動までを語っています。
今回は、その冒頭部分を訳してみました。可能であれば、全文訳してご紹介したいと思っています。(でもなんたって訳してるのが私だからあんまり信用しないでね^^;とくにHot-Clubの話なんて事実関係が全然わかんないよー)
タイトルは「つかの間のリーダー達による想像的民俗音楽」とでも訳しましょうか。
ARFI ?
Alain Gibert (以下A.G.):
"Chant Libre"(マーヴェラス・バンドの1975年のアルバム)に、「神秘のアフリカの想像的回想 Souvenir imaginaire de l'Afrique mystique 」という曲がある。モーリス(メルル)の家で、このアイデアについて僕らが話しあったときの会話はよく憶えている。クリスチャン・ロレもいたな。僕らはバルトークについて-バルトークが民俗音楽に興味を持ち、その一部を再生させたことについて話していた。そのとき、想像的民俗音楽に取り組むことが問題になっていたんじゃないかな。とにかく、このアイデアと考え方を、僕らは気に入ったんだ。
HOT-CLUB ET ARFI
Maurice Merle (以下M.M.):
僕らはHot-Club(訳註:リヨンの老舗ライブハウス)を拠点にしてたが、少々問題も起きつつあった。僕らは、新しいヨーロッパのインプロヴァイズド・ミュージックの流れの中にいて、今までと全く違う音楽を発展させようと全力を注いでいたし、またスタンダードやバップは全然やらなかったから、Hot-Clubの一部のミュージシャンには嫌われていたね。しかも、Hot-Clubの目的はアマチュアミュージシャンに演奏の場を与えることだったのに、僕らは僕らの音楽で食っていこうとしていたから。
Alain Rellay (以下A.R.):
僕は当時Hot-Clubの経理をやってたんだけど、僕らがクラブを離れるのはやむを得ないことで、当然の帰結だと感じていた。しかも Raoul Bruckert が跳躍の一歩を踏み出す勇気を僕らに与えてくれた。というのは、彼も1948年に同じことをやっていたんだ。有名なDelaunay-Panassieの対立後、Hot-ClubはDelaunayの店になったので、彼は袂を分かったんだね。
LES "CLOCHARDS" ("浮浪者"たち)
A.R.:
そんなわけで1977年初めにHot-Clubは12人のメンバー離脱を認めたんだが、一方でロワール県庁が「想像的民俗音楽探究協会 l'Association a la Recherche d'un Folklore Imaginaire 」という奇妙な名前の協会設立を承認した。活動拠点を探しつつ、アルフィスト(Arfistes、ARFIのメンバー)はHot-Clubへの出入りも続けていた。このとき、未来のマルミト・アンフェルナルの前身ともいうべき大フリー・オーケストラが、Hot-Clubで最初にして唯一のリハーサルを行ったんだ。
マルミト・アンフェルナルの最初のステージは1978年1月13日。その3週間前に亡くなった、詩人・批評家にしてHot-Clubの共同設立者アンリ・ゴーティエの追悼コンサートの時だった。このときのコンサートは録音され"Memorial Henri Gautier"というアルバムになった。このアルバムでは Jacqui Boyadjian の Happy Stomp'sからRaoul Bruckertの5tet(トロンボーンはあのイヴ・ロベールだ)、そしてマルミト・アンフェルナルまで9つのフォーメーションが聴ける。
そうこうするうちに、ARFIはクロワ・ルス通りの坂道に自分たちの巣窟を見つけたわけだ。この場所は「天上の浮浪者たち Les Clochards celestes 」と名付けられ、ミュージシャン達と劇団「 Le Lezard dramatique (訳注:「劇団とかげ座」って感じ?^^;)」とでシェアした。この場所で、あらゆる冒険とあらゆる出会いが起こることになったんだ。
A.G.:
この場所で、僕らは互いにより理解し合うようになり、それぞれの共通点とか、やりたいこととか、プロジェクト等に沿って新たにグループを作るようになった。毎週火曜日にコンサートを開くんだが、ほとんど毎回新しいフォーメーションだったね。この連続コンサートは、一方ともう一方の様々な要求を具体化するために行われていた。毎回、僕らと招待ミュージシャンによる、何十というつかの間のグループが開花した。ボルカトとスクラヴィス、ルレーとヴォラのデュオのように、継続的なものも生まれた。また、 Barre Philips, Chris McGregor, George Lewis, Siegfried Kessler, Steve Lacy, Michel Portal, Bernard Lubat といったミュージシャンとも僕らは共演したんだ...
(以下、次回に続けたいぞー)
Delaunay-Panassie
Charles DELAUNAY (1911-1988), Hugues PANASSIE (1912-1974)
どちらも批評家、プロデューサーとしてフレンチ・ジャズ界で凄くエラかったひと(^^;)二人ともフランスで一番古いジャズ雑誌"Jazz Hot"創刊時からの中心人物であり、Hot Club de France の経営でも協力しあってきたが、1947年にビバップの評価をめぐる対立により袂を分かった。