最初に「そのこと」を知らせてくれたのは、2003年5月3日、本名も性別もわからない、フランス語を書く未知の人物から届いたメールだった。
「昨夜(2003年5月2日)、Europa Jazz Festival du Mansで行われたNapoli's Wallsのコンサートの開始前に、ディレクターのアルマン・メニャンがこう言っていた。来年、フェスティヴァルの25周年を記念して、ルイ・スクラヴィスは25人の異なるアーティストと、25の異なる場所で、25回のコンサートをル・マンと周辺都市で行うと...」
2003年5月2日のNapoli 's Wallsのコンサート。その前月に亡くなったモーリス・メルルを追悼して、ルイが「いつもよりソプラノ・サックスを多用した」演奏をしたというコンサート。関係者を除けば、会場に居合わせた観客がおそらく世界で最初に知った「そのこと」を、その翌日に、見知らぬ人が私に教えてくれたのだ。
フェスティヴァルの正式なインフォメーションが出てからも悩み、「行けないかもしれない」という不安を抱えながら過ごした春。でも今、私は確かにパリ行きのANA便に乗っている。隣席のちょっとお下劣だが気のいいフランス人観光客2人に、ときどき笑わせられながら。テレンス・スタンプだけを目当てに見始めた「ほーんてっど・まんしょん」が、日本語吹き替え版なのに脱力させられながら。
2004年4月16日付ル・モンド紙(ウェブ版)に、Europa Jazz Festival du Mans25周年についての短い記事が載っていた。ディレクターのアルマン・メニャンは、ルイのツアーについてこんな話をしている。ことの始まりは、2003年のはじめ。50歳を迎えたルイのバースデイ・パーティに手ぶらで来てしまったメニャン氏は、プレゼントの代わりに「25人の異なるアーティストと、25の異なる場所で、25回のコンサートをやらないかと持ちかけたら、彼は即座にOKしたんだ」と。
その前代未聞のツアーは4月17日から始まっていて、すでに4分の3が終了している。見たかったものはいろいろあるが、悔やんでも仕方がない。これから待っているもののことだけを考えることにしよう。
飛行機は、ほぼ16時40分の予定通りにシャルル・ド・ゴール空港第1ターミナルに到着。荷物を受け取って入国手続きを済ませ、無料シャトルバスの停留所を探してTGV駅に向かう。曲がりくねる道を走るバスはけっこう時間がかかってどきどきする。18時25分発ル・マン行きのTGVを逃してはならない。でないと次の列車は2時間後、ル・マン到着が22時を過ぎてしまう。今夜のコンサートはベルナール・リュバとルイのデュオ。後半だけでも、どうしても観たいのだ。
駅の切符売り場にたどり着いたのは、すでに18時近く。切符を買う人達の列ができていて、それなのに窓口のひとつにはきっぱり「18時で閉めます」なんて掲示がしてあって、ああこういうところがフランスだわーと思いながら、またまたどきどきする。
やっと私の番になって、ほっとして窓口の前に立った途端、横から60代くらいの白人男性が突然声をかけてきた。
「すみませんが、私は急いでいるのです。先に切符を買わせてもらえませんか」
その瞬間、「ダメです!絶対にダメです!私も急いでいます!ものすごく!」と、自分でもびっくりするぐらいきつい口調で拒否する私。彼が乗りたいのも、私と同じ18時25分発の列車だった。窓口のおにいさんに「条件はみな同じですよ」とたしなめられ、そのムッシューはひっこんだ。
彼は列車に間に合ったのだろうか。今でも少し気にかかる。だけど、他にたくさんお客がいるなかで、なぜわざわざ他の人より言葉が通じなさそうな(みたところアジア人は私ひとりだった)私を選んで声をかけてきたのか、そのことも同時に気にかかる。
TGVに乗り込み、席に着く。スペインのテロ以降なのだろうか、乗車口脇の荷物置き場にはネットが張られて使用することができず、客車内の棚は荷物でいっぱいだ。私の旅行鞄は幅が分厚くて座席の後ろなどには入れられない。仕方なくしばらくの間は通路に置いていたが、通る人のジャマになりまくる。棚の上に置こうとしても、無理矢理ひとつにまとめた荷物が、お、お、重くて持ち上がらない。見かねた隣の男性が手伝ってくれた。185cmは確実にあろうと思われる長身、おしゃれなエリートビジネスマンか研究者という感じのちょっと北アフリカ系っぽいハンサムな青年。ル・マンより先に行くらしい彼は、荷物を下ろすのにもさりげなく手を貸してくれた。なんだかこの旅、幸先良さそうだ。(ほんとか?)
TGVのル・マン到着予定は20時04分。しかし出発が少し遅れていたようで、実際にル・マン駅に着いた時には20時15分になっていた。ちょっと慌てて、私を迎えに来てくれているはずのご夫婦を捜す。携帯電話を持っていたおかげで、宿泊先として伝えていた駅前のホテルまで私を捜しに行ってくれていたご夫婦、JさんとRさんに会うことができた(旅先で携帯電話を持つメリットを実感)。挨拶もそこそこに、すぐにホテルで宿泊手続きをとる。レセプションのマダムがとても優しそうな方なので安心する。深夜はホテルの入口に鍵がかかるので、4桁のセキュリティコードをもらうと、ホテルの前に停めてあったご夫婦の車に乗った。
ご主人のJさんとは、メールでときどきコンタクトをとっていた。彼がル・マン近郊に住んでいるとわかり、フェスティヴァルに行くと伝え、「駅には20時過ぎに着くけれど、当日のコンサートの後半には間に合うでしょうか。会場まではタクシーでどのくらいかかりますか」と訊ねたところ、タクシーは高いし、自分たちが駅まで迎えに行くからと申し出て下さったのだ。ルイのツアーは周辺都市中心で、ル・マンからはけっこう離れているところばかり。しかも、夜のライヴは通常21時スタートなのに、この日に限って20時30分スタート予定。私はてっきり、彼が開始時刻を勘違いしているのかと思って「私を迎えに来てくださったりしたら、絶対にコンサートの前半を見逃してしまいます!」と返信したのに、彼は断固として私を迎えに行く決意を翻さなかった。
車中でお礼とお詫びを繰り返す私に、「ワッハッハ、コンサートは前半より後半のほうが盛り上がるものだよ」とおっしゃるJさん。ご夫婦は、ベルナール・リュバと20年来の親友で、リュバの故郷ユゼストに別荘まで持っているのだという。そんな方々なので、ユゼストではデュオを含めてリュバとルイの共演は何度も経験済みだ。だから「前半見逃し」もそれほど痛手ではないのかもしれない。そうだとしても、お二人のホスピタリティは驚異だ。
道路は空いていて、車は順調に会場を目指す...とはいっても会場自体が遠いので、到着した時には21時を過ぎていた。街にはようやく夕闇が迫ってきていた。