31 decembre 2001 -
今回はあんまり楽しい話じゃないのですが、書くなら2001年のうちにと思ってアップすることにしました。
「Out There」という雑誌の8号が10月末に発売されました。私はここで「フレンチ・メールボックス」というコラム記事を書いています。
この記事にひとつ、目立つ間違いがあります。下段にCDジャケットが計7枚並んでいますが、7番目のジャケットとCDについては、本文の中ではまったく触れられていません。このCDは、今年Label Bleuからリリースされたクロード・バルテルミーの「Sereine」です。なぜ、本文にないCDのジャケ写が掲載されているのか、これまでの経緯を含めて書いておきたいと思います。
「Out There」の担当編集者から、フランスのジャズや即興音楽関係で、新しい動きを紹介する記事を書いてほしい、私なりのアンテナでOK、という依頼をいただいたのはずいぶん前のことでした。掲載号は6月中旬発行の予定で、原稿締切はゴールデンウィーク明けに設定されていたと思います。私は原稿を仕上げるのが遅れ、編集者に了解を得て、締切から1週間ほど遅れた5月13日に原稿を編集部に送りました。
この時点で送った原稿には、6月末から7月にかけてパリで開催されるヴィレット・ジャズ・フェスティヴァルのプログラムに触れた部分がありました。遅くとも6月下旬には発行されるはずだったので、フェスティヴァルの開催にぎりぎり間に合うはずでした。
最初に送った原稿、ヴィレットについて書いた部分
ところがいつまでたってもゲラは送られてきません。心配しているうち、編集者から連絡がありました。Out There の発行が諸般の事情で遅れ、7月上旬になりそうだ。つまりヴィレット・フェスの開催後になってしまう。ついては、ヴィレットの部分を他の内容に差し替えてほしいというものでした。
(ちなみに、初稿段階ではノエル・アクショテは「来日予定」でしたが、「来日した」の過去形にしなければなりませんでした)
私は落胆しましたが、たまたま手元に仏ジャズ雑誌のフェスティヴァル特集号が届いていたので、発行時期に間に合いそうなフェスを選んで書き直し、編集部に送ったのが6月11日頃だったと思います。
第2稿、各地のフェスティヴァルについて書いた部分
第2稿までは、バルテルミー「Sereine」のジャケット掲載は予定されていたものでした。
しかし。
あいかわらずゲラは送られてきません。何度となく担当編集者に電話し、メールし、FAXして進捗状況をたずねましたが、はっきりした返事がもらえない。日々は過ぎ、あっという間に書き直し部分は古びてしまいました。編集部に対する苛立ちと不信感はつのる一方。私だけではありません。8号に寄稿された方々のなかには知人、友人がいますが、同じような状況だということでした。
結局、「初校が出た」という連絡が編集部から来たのは、9月6日。初校はFAXで届きましたが、そこには、ムダになってしまったフェスティヴァル情報の部分を差し替えるために「9月10日までにリライトお願いできますか」と書かれていました。
もう、いっそ原稿を引き上げてしまおうかとも考えましたが、雑誌に書くからということでミュージシャンの人達が提供してくれた情報が活字にならないのは耐え難いことでした。また、たまたまベンヤミン・クリステンセン『魔女』DVD化の話を友人から聞いたところだったので、この話に差し替え、原稿を三たび送り直しました。
ここで、バルテルミーのCDの話は消えてなくなりました。
この後、雑誌の判型そのものが代わってしまうという連絡が来て(9月25日)、一度出た初校はなかったことになり、今書店に並んでいる判型になった形で初校が届いたのは10月18日(「Musician's File」でも私は1ページ担当していますが、こちらの初校はとうとう出ないままでした)。誌面に残っていたバルテルミーのCDジャケに私は大きな×をつけ、削除指示を明記して送り返しました。
そして。編集部から献本が届くより先にCD店で見つけた8号。「French Mail Box」のページには、無意味な「7番」のCDジャケが、そのまま残っていました。
もちろん、他にも直したかったことはあります。私の原稿はもともとアルファベット表記が多いので、縦横混在が大変なのはわかるから(でも、ちゃんと英文のみ横組みになっているページもあるのよね)、それならいっそ横組みにしてほしかったとか。ジャケ3番のエレナは、第1稿を書いたあとに、谷理佐さんのライナーのついた国内盤(しかもジャケ違い)がラパレイユ・フォト・ビスからリリースされたので、本当はジャケを差し替えたかったのにとか・・・
でも、私などはまだマシな方なのです。・・・今は、もっとひどい目に遭った方々がいる、とだけ書いておきましょう。