デリベラシオン・オルケストラのコンサートが終わったときにはすでに深夜0時を回っていただろうか。私の他にも終電を逃した人がかなりいたようだ。雨降りで会場からタクシーを呼ぶのもままならない状況だったが、私を含めて数人は幸運にもミュージシャン用のミニバスでバスティーユまで乗せてもらった。バスティーユ広場でもタクシーを待つグループが何組もいる。なんとか1台つかまえて、友達の家に帰り着いたのは午前2時過ぎ。抜き足差し足で部屋に入り、暗い中で着替えて床についたものの、雨がだんだん嵐のようになって激しい風音が続き、なかなか寝付けなかった。
翌朝、リヨン駅10時発のTGVでリヨンに向かった。寝不足の頭で、ひたすらぼんやりと窓の外を見ていた2時間。パリではほとんど止んでいた雨が、リヨンに近づくとまた降り出した。なつかしいパール・デュー駅に到着。友人のジャンフィリップが待っていてくれた。2年ぶりの再会。駅を出て彼の車に乗り込む。途中、市場でチーズや野菜を買って彼の家に向かう。
リュバのオルケストラの話になり、ゲストを聞かれて思い出すまま名前を言っていると、「フランシス・ラッシュ」のところで彼の顔色が変わった。
「ナニ!オレはあいつが大嫌いなんだ。なぜって、あいつは本当に凄いドラマーで、おまけに男前ときてる。そのおかげで、昔オレがあいつと共演したときは、客の女の子は誰ひとりオレの方を見てくれなかったんだ」
私は大笑い。C'est la vie、ね。確かにフランシス・ラッシュはカッコよかったです。でも、ジャンフィリップがカッコ悪いわけじゃないのよ。
ジャンフィリップはガールフレンドと無事にゴールインし、クロワ・ルス地区に住んでいる。アパルトマンに着くと、すてきな笑顔の彼女が出迎えてくれた。
リヨンではコンサートもなく、のんびりとフランス人の日常生活のなかで過ごした。でも、その日常はすでに私にとっては非日常なのだけど。
日曜の晩はジャンフィリップと彼女の友人達が訪ねてきて、夏のヴァカンス計画を話し合うのを眺めていた。イタリアの田舎で、ヴィラを共同で1軒借り切ってヴァカンスを過ごすらしい。楽しそう。ガイドブックに載っているヴィラはどれも素敵だ。プール付きのデラックスなのもあるけど、ひなびた田舎風のヴィラなら宿泊料は大したことなさそうだ。ただ、車がないと泊まるのは無理そうだけど。
月曜はジャンフィリップがわざわざ休みをとってくれていて、クロワ・ルス地区から旧市街まで散歩をした。前回は車で動くことが多かったので、明るい時間にみるクロワ・ルスの街なみはなんだか新鮮だった。ここは70年代にarfiの拠点があったところ。もともとリヨンのヒッピー・ムーヴメントと深い関わりがあった地区だそうで、今でもいろいろな社会活動のアソシアシオンの事務所や、小さい劇団などがたくさんある。ほら、とジャンフィリップが指さす先を見ると、「Salle Colette Magny」という看板が!そこはアナーキストの人達が集まるカフェで、コレット・マニーが歌ったこともあり、亡くなった彼女を追悼してカフェに彼女の名前をつけたのだという。
斎藤徹さんが昨年のフランスツアーで演奏したHorlieuというアソシアシオンのスペースもこの地区にある(ジャンフィリップは仕事で聴きに行けなかったそうだ)。通りかかったときは、1,2カ月前に終わったレクタングル関係のコンサートのチラシも貼ってあった。
リヨン歴史博物館と併設されているマリオネットの博物館を見てから、レストランへ。私が初めてリヨンを訪れた夜にジャンフィリップが連れていってくれた店。気取ってなくて、美味しいのだ。私達のテーブルに注文をとりにきたのは、前に来たときと同じ年輩のウェイトレスで、なんだか嬉しくなってしまう。
となりのテーブルでは30代くらいのビジネスマンが食べながらよくしゃべっている。私にはその内容はわからない。彼らが先に席を立った後、ジャンフィリップがこっそり教えてくれた。彼らは、いかにヴァカンスに便乗して奥さんを遠くに追いやり、愛人と会う時間をつくるか、という話をしていたそうだ。うーん、これもまたフランスの日常。
レストランを出てから連れていってもらったのはHarmonia Mundiのブティック。Harmonia Mundiレーベルでリリースしているものと(だから商品の3分の2くらいはクラシック)、ディストリビュートしているものが買える。フランスだっていうのにEnjaレーベルのRabih Abou-Khalil「the Cactus of Knowledge」のDVDと、旧作だけどちょっともう日本では探すの大変かなと思ったルノー・ガルシア・フォンとジャンルイ・マティニエのデュオアルバムをゲット。
(ここはお店のお兄さんがとても感じよくて親切で良かったです。住所は 21 rue du Pdt Edouard Herriot。リヨンに行ったら寄ってみてくださいな)
夕方はディナーの時間までのんびりと過ごす。ひさしぶりにゆっくりとフランスのTVを観た(前回はほとんどTVを観なかった)。日本でもオンエアしてるメイドインUSAのドラマがこちらでも人気で「フレンズ」とかやってた。
でも、ひとつフランスのTVには日本にはない良いことがある。CFが入るときに、必ず「PUBLICITE」とか「PUB」といった、ここからCFですよと知らせる画面が入るのだ(昔はフランスのTVではそもそも商業広告が流せなかったんじゃないかな)。CF自体はかなり下品だったりくだらなかったりするけど、最近の日本の、番組とCFが区別つかないくらい密着した切り替えにうんざりしている私には精神衛生上とても良い。
念願の「Les Guignols de l'info」も観た。ケーブルテレビのカナル・プリュスで流れてる、政治家に似せたグロテスクな人形(英国のスピッティング・イメージみたいな)でキッツイ社会風刺を繰り広げる番組。これよこれ。私が観た時は、イタリアの大悪人ベルルスコーニが登場して、イタリア語みたいなフランス語(^^;)で、「いや〜天気はいいし食い物はうまいし、ファシズムって最高ですね」(←でたらめです)とかなんとか言っていた。
ジャンフィリップと彼女、すっかり美少女に育った彼女のお嬢さんと夕食。きょうの夕食当番はジャンフィリップで、ポトフを作ってくれた。その後、ジャンフィリップと一緒にバンドをやっているディミトリ君の家から電話があり、ちょうどその日がディミトリ君の誕生日でパーティをやっていると誘われ、訪ねることに。風邪をひいているお嬢さんは申し訳ないけどお留守番をしてもらった。
ディミトリ君の家に着くと、大きな犬が吠えながら(^^;)出迎えてくれた。ジャンフィリップから「彼はルイにクラリネットを教わったんだ」と聞かされていたディミトリ君に会うのは初めて。彼はこの日24歳になったばかり。ご両親と、ガールフレンドや友達が彼のバースデイを祝っていた。お父さんは詩人だそう。お母さんはイタリア人で、アンナ・マニャーニが大好きで、部屋にはマニャーニのポスターが何枚も貼ってある。で、実際お母さん自身も、ちょっとアンナ・マニャーニに似ているのだ。朗らかなお母さんは、イタリア式の濃ゆーいコーヒーや、お手製のケーキでもてなしてくれた。
ジャンフィリップと同じく小学校からのルイのお友達だというお父さんが話してくれた。昔、まだルイがARFIに加わるよりもっと前のこと、二人は一緒のステージに立っていたという。若き日のディミトリ君のお父さんは自作の詩を朗読し、ルイはjouer(play)をしたのだそう。私はこのとき、ルイは楽器を演奏していたのだと思っていたのだけど・・・
ジャンフィリップとディミトリ君(と、もうひとり今回は会えなかったメンバーがいる)のバンドは、no(w) muzz@k というややこしい名前だ(なう・みゅざーくって読んでね^^;)。自主制作でCDをつくったばかり。滞在中にルイに会えるなら渡してくれと頼まれて、2人のサインを入れたCDを預かった。