いくつものドアを抜けると、目の前に黒いカーテンや無造作に積まれたPA機器などが現れた。左手の方から演奏が聞こえてくる。ここってもしかしてステージそで?
「ほら、見て」とフランソワの声。目の前に広く立派な客席が拡がって、私は息をのんだ。規模からいえば、うーんと東京でいったらシアターコクーンとオーチャードホールの間くらい??こんな立派な音楽ホールでコンサートなの?
どぎまぎしながら、階段を下りて客席へ。フランソワの後について最前列の中央に向かう。そこに腰かけていた男性が、今夜ブルーノ・シュヴィヨンの代役でベースを弾く、オリヴィエ・サンスだった。CDの写真だけで見ていた彼は、ほとんどスキンヘッドに近い頭とサングラスでコワモテ風の印象だったけど、実際はあまり背も高くなく、笑顔がやさしい、おだやかな青年だ。
「それじゃまた後でねー」とフランソワは会場を出ていった。ほんとにありがとう。
ステージではイヴ・ロベール・トリオのリハーサルが進んでいる。アンサンブルの部分を演奏していて、たぶん即興パートに入る手前でやめては、「ここからこうしてああして・・・」とミュージシャン同士で打ち合わせをしているようだった。このトリオ、ECMからアルバムが出るそうだけど、当然、わたしは生まれて初めて音を聴いている。何度も中断されるリハーサルでも、なんだかすごく面白くてワクワクしてくる音だ。オリヴィエ・サンスも途中で楽屋に戻っていったが、私はずっとトリオの演奏を聴いていた。
やがてリハーサルが終わり、チェロのヴァンサン・クルトワとドラマーのシリル・アテフが片づけをしているので、思い切って声をかけた。
「ヴァンサン、ぼんじゅーる」
「あれーっ!来てたのー!」
ヴァンサンは私のことを覚えていてくれた。98年だったか、「チェロ・アコースティクス」の来日公演の後、ちょっとだけ言葉を交わしたことがあった(チェロ・アコースティクスは日本の企画モノで、コンサートの後にメンバーの『サイン会』があったのだ!)。その後、彼は自分でホームページを作るようになったので、ときどきメールでやりとりは続けていたのだけれど。
「シリル、彼女は日本から来たんだよ。ルイのサイト作ってるんだ」
「へーっ。コンニチワ!」
シリル・アテフはさっそく日本語で挨拶してくれた。
「わたし、アミアンのコンサートにも行ったんですよー」
「マジすか?!ブンチェロ見てくれたの!すげー!オレたちオフィシャルサイトもってんの。イケてるから帰ったら見てやってー。www.bumcello.comでつながるからさー」
と、シリルは見た目と演奏通りのキャラクターなのだった。
楽屋に先に戻っていたイヴ・ロベールも私のことを覚えていてくれて、今日は嬉しい(*^^*)
ヴァンサンとホームページのことなんかをしゃべっていると、長距離電話を終えたルイも来て、だんだん楽屋がにぎやかになってくる。ここでシリルがいきなり私の顔を見て言った。
「ニホンチャヲ、クダサイ!」
「ぎゃーっ。なんでそんな日本語知ってるのお〜〜〜」
「オレさ、10年くらい前に日本に行ったことあんのよ。パルコってシンジュク?シブヤ?そこで女性シンガーのライヴがあってさ、オレそのバンドのメンバーだったの(注:きっとフェスティバル・ハルーのことだと思うけど、女性シンガーって誰だろ?)。そんでさ、日本のジャズピアニストの○○さんて知ってる?オレ、ずっとそのひとの家に泊めてもらってたの。うまいもんいっぱい食ったよ。おでん、とかさー」
「わははは。(ルイに)あのね、おでんってポトフ・ジャポネなのー^^;」
「そそそそ。スープの中にすっげーいろんな具がいっぱい入ってんだよなー」
シリルのおかげで私はすっかりなごんでしまったが、そもそも「開演前」の楽屋というものがほぼ初体験の私は、ミュージシャン達が皆とてもリラックスしているのに少々驚いていた。もう少し緊張感があるのかなと思っていたのだけど。
ルイとヴァンサンが2人で練習をするというので、私は図々しくそっちにもおじゃましてしまった。てっきりステージに戻るのかと思ったら、ほんとに小さな控え室に入ったのでちょっとびびったけど、欲望には勝てず(^^;)隅っこで見せてもらった。
2人が楽譜を取り出して演奏を始めたのは、知らないタイトルの曲だった。ほんとうはイタリア語のタイトルで、記憶があやふやだが「フランス語だと、Divination Moderne」と言われたような気がする。ちょっと聞き覚えのあるフレーズも出てきたが、これは新曲だ。わわわ、あたしったら今、とんでもないもの聴いてるかも。タバコを吸いながら、譜面に鉛筆であれこれ書き加えながら(ちなみに2人とも左利きなのだ)、ルイとヴァンサンはバスクラリネットとチェロで世にも美しい音楽を楽々と紡ぎだしている。私の目の前で。