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Jさんの車はサブレ・シュル・サルトに向かっている。昨日のラ・フレッシュはル・マンの南南西に位置し、今日のサブレ・シュル・サルトは西南西のあたり。どちらも、ル・マンからは50kmほどの距離がある。
今日は、奥様のRさんは仕事で来られない。JさんもRさんもコレージュの教師をしている。画家のJさんは子供達に美術を教え、Rさんの専門は歴史地理学だそうだ。
市街地を走っているつもりでいたのに、いつのまにか建物の数がぐんと減り、のどかな風景がひろがってきた。均等に区切られた、小さな畑のようなものが目をひく。
「あれはjardin ouvrier(市民農園)といって、庭を持てない都市部の住民が、区切られた土地を借りて菜園づくりを楽しんでいるんだ。この制度は、実はシャルル・フーリエ等のユートピア思想が起源になっている」
「そうなんですか!フランソワ・コルヌルーが、『jardins ouvriers』っていうタイトルのアルバムを出しています。なんでこんなタイトルなんだろうって思っていたの」
「ああ、彼はそういう背景を意識しているに違いないよ。それに、耕作(culture)と文化(culture)の関係のこととかもね」
このあたりはちょうど春が訪れたばかり。新緑がまぶしい。風景はますますのどかになっていく。
Jさんに言われて、通りかかった看板をみた。「Chantenay Villedieu」シャントネ・ヴィルデューへ行く方向が示されている。
「1980年代、シャントネでジャン・ロシャールが毎年フェスティヴァルを開いていたんだよ」
ジャン・ロシャールはNATOレーベルの主催者。NATOは私がルイの音楽に出会う前から知っていた唯一の、フランスのジャズ・レーベル...といっても、私が聴いていたのは「The Melody Four」とかなんだけど。
ギ・ル・ケレックの本や昔のjazz magazineなどで、このフェスティヴァルで撮影された写真は何度か見たことがあったのだが、こんな田舎町だとは思っていなかった。
「彼のフェスティヴァルは毎年9月に開かれていた。ヴァカンスから帰ってきた我々が皆で再会する場所がここだったんだ。日本人女性が歌ったこともあるよ。名前は...そう!カズコ・ホーキ!バルドーのシャンソンを歌ったが、これが実に良かったね。...残念なことに資金難で、数年でフェスティヴァルは中止になってしまったんだが。ジャン・ロシャールは今は米国に住んでいるよ。ミネアポリス?たぶんそうだろう」
ホテルを出発してから小一時間後、私たちは会場のCentre Joël Le Theuleに到着した。近代的だが落ち着いた印象の文化センター(サブレ・シュル・サルトのサイトに、案内ページがある)。まだ開場まで時間があるので、ロビーでコーヒーを飲みながら待つことにする。ポルタル様とルイは食事に出かけたという。午後いっぱい、ぶっ続けでリハーサルをしていたそうだ(ひえ〜こわそ〜)。
私はJさんへの「おみやげ」を持ってきていた。画家で、子供に美術を教え、音楽を愛するJさんが喜んでくれそうな、日本のもの。しかも安くて気軽なもの。そうやって選んだのは、大竹伸朗の『ジャリおじさん』だった。日本の現代美術の作家(しかもミュージシャンでもある)が子供のために作った絵本、フランス人ならアルフレッド・ジャリを思い出さずにはいられないタイトル。ホテルの部屋での「ひと仕事」、大急ぎで汗をかきながらつくった私の「トンデモ訳」を書いた紙をおまけに付けた絵本を、Jさんはとても喜んでくれて、何度もページに見入っていた。
「面白い。色が美しいし、このコラージュがすばらしいね...この本はよく売れたのかな?」
「10年前に出た本が今でも出ているから、きっと評判良かったんだと思います。私も昔、姪にプレゼントしたら喜ばれました(当時保育園に通っていた姪は、この本をずいぶん気に入って、しょっちゅう「じゃりじゃり」言っていたらしい)」
やがて、アルマンさんと彼の奥様、その他Europa Jazzのスタッフの方々が姿を現した。ル・マン市内でも並行してコンサートが行われる日もあるが、4月30日から5月3日まではルイのコンサートだけがプログラムされているので、関係者が揃ってこちらの会場に来ているようだ。
開場。ホールの広さと席数の多さ(679席!)に驚く。さすがに満員にはならないが、30〜40代の人達や学生はもちろん、地元のお年よりや親子連れがかなり来ている。きのうのラ・フレッシュもそうだったが、フランスでコンサートをみると、観客の年齢層が幅広いことにいつも驚かされる。自治体の後援やチケットの安さのおかげだろうが、何よりこういうイベントが「根付いている」ことを感じさせられる。しばらくすると、演奏中の写真撮影や録音は禁止されているとのアナウンスが流れた。(こういうアナウンスが流れたのは、私が訪れた会場では、ここが唯一だった)
照明が落とされ、まずアルマンさんが登場。じつは、このホールをEuropa Jazzが使用するのは今日が初めてだということで、挨拶は関係者の方々へのお礼から始まった。このホールはバロック音楽のフェスティヴァル会場としてよく知られているそうだ。世界的にはむしろクラシック音楽演奏家としての知名度が高いであろうミッシェル・ポルタルの出演するプログラムを、Europa Jazzがここに持ってきたのも何となく納得がいく。
しばらくするとルイとポルタル様が登場した。2人とも黒の上下。ルイはすずらんの花を持ってきて(やっぱり!)、楽器の並んでいるテーブルの上に置いた。ステージに向かって左にポルタル様、右にルイ。そのポジションは、4年前にリヨンで観たときと変わらない。譜面台が用意されているのも同じだ。
まず、2人ともバスクラを構える。演奏が始まる。2人とも譜面を見つめながら吹いている。どの曲かわからないが、ポルタル様の曲がアレンジされているのだと思う。あまり、即興演奏をしているとは思えない。とても練られているアレンジ。シリアスで、緊張感が漂う演奏が15分ほど続く。ちょっと息苦しい感じもしてくる。
しばらくすると、客席の中央あたりに座っていた若い女性がひとり、席を立った。彼女のお気には召さなかったのだろうか。確かに、きのうのリュバとルイのデュオみたいに、インプロなどを聴き慣れていなくてもとりあえず楽しんでしまえるような「うきうき」した演奏ではない。
ところが。
女性が席を立ち、後ろの出口に向かっていくのが見えたのかどうか、突然、ポルタル様が「ハッ!」と一声、バスクラのリードをスポッと引っこ抜いた。そのタイミングはまるで、帰っていく女性を「おやおや、せっかくお楽しみはこれからなのに」と、からかっているかのようだった。
さあ、それからが大変。ポルタル様が一気にはじけてしまった。ルイもそれに応えて、2人の演奏はどんどんパワフルに、しかもお茶目になっていく。楽器を持ち替え(もちろんポルタル様はバンドネオンも弾いた)、ポルタル様の『Dockings』や『Turbulence』の収録曲をモチーフにして展開していく演奏は、よく練られて緊張感が漂うのはそのままに、しかし、もう決して「息苦しい」ものではなかった。
アンコールには3回くらい応えてくれただろうか。姿を現さずに、舞台袖でしばらく演奏だけを聴かせ、2人で演奏しながらステージに出てきたり。
2度目のアンコールでは、ルイがバスクラで「ぼーっ」と低い低音を鳴らすと、ポルタル様が「おっ!どこかで汽笛が鳴っているぞ」と受け、その後は2人で「パトカーのサイレン」の真似やら、「バスクラでケンカしているところ」と「バスクラでふつうにお話ししているところ」やら、おじさんとおじいさんに近いおじさん(^^;)がすっかり童心に返って遊びはじめてしまった。きゃーポルタル様かわいすぎます。もちろん、笑いをとろうと媚びる下品なパフォーマンスではない。観客も大喜びで、会場は沸いた。
最後に挨拶をしているとき、ルイのところに小学校低学年くらいの男の子が何かプレゼントを持ってやってきた。ルイは男の子の話をよく聞いて、嬉しそうに受け取っていた。アンコールが「バスクラで遊ぼう」になってしまったのは、前の方に子供が座っているのを2人が気付いたからなのかな、とも思ったが、よくわからない。
終演後、Jさんと私は、昨日のコンサートに来ていた写真家のCさんと再会した。Cさんは南仏トゥールーズから来ていて、フェスティヴァルの写真を撮り続けている。昨日も見かけたTVクルーがルイを撮影している。ポルタル様もステージの上の椅子に腰掛けて、別の取材を受けている。
ステージを降りてきたルイは、コンサートには満足そうだったが、長いリハーサルでちょっと疲れたよと言って、ふーっと大きな息をついた。