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今夜、Théâtre des Jeunes Annéesで開催されるコンサート。
それは、2003年4月2日に癌で亡くなったリヨン出身のソプラノサックス・プレイヤー、モーリス・メルルを讃える記念コンサートだ。彼はフランスのフリージャズの歴史にその名を刻むFree Jazz Workshop(のちのワークショップ・ド・リヨン)のメンバーであり、1977年にリヨンで創設されたARFI(Association à la Recherche d'un Folklore Imaginaire、創造的民俗探求集団)の創設者のひとりでもあった。
今回のフランス滞在にあたって、私はEuropa Jazz以外のコンサート情報もある程度調べてはいた。でも、今夜のモーリス・メルル追悼コンサートのことは自分で見つけたのではない。このニュースを送ってくれたのは、あるドイツ人男性だった。以前メールをくれたことのある彼がドイツ在住のドイツ人で、ARFIの音楽が好きで1980年代に自らリヨンまでARFIのライヴを観に出かけていたということまでは知っていた。でもメールのやりとりは2,3回だけ、もちろん実際に会ったことは一度もない。その彼から突然メッセージが届いたのだ。
「5月6日、リヨンでARFI主催のモーリス・メルル追悼コンサートがあるよ。ルイも出演する」
最後だけフランス語で「...avec Louis !」と結ばれていたメッセージ。私がフランス滞在計画中と知る由もなかったのに、彼はまるで狙ったかのように、最初は6日もパリに滞在するつもりだった私の出発前に間に合うように、ご本人は行くことができないコンサートのことを教えてくれたのだった。
なんという偶然。というより、そもそもEuropa Jazzのことを知った1年前といい、見知らぬ人達が私のことをサポートしてくれている、と痛感する。それはルイ・スクラヴィスの音楽と彼の人間性そのものが私に贈ってくれているものだ。幸せと同時に、「ファンサイト」が運営人の力を超えた存在になってきていることに、責任と怖さも感じる。
開場前の劇場ロビーは、チケットを買う人達でごった返していた。並んでいるなかにはJPやD君の友人知人もたくさんいる。ローカル・ラジオ局でジャズ専門番組を持っている、JPが「リヨンで一番信頼できるジャズ・ジャーナリスト」と呼ぶご夫婦。恰幅のよいムッシューは、リヨンに近いヴォー・アン・ヴランのジャズフェスティヴァルのディレクター。このフェスや、ヴィエンヌのジャズ・フェスで仕事をしているサウンド・エンジニアの男性。D君に声をかけてきたお兄さんこそは、ファニーちゃんとリュシルちゃんのインタヴューを送ってくれたコレージュの先生、Yさんだった。
10ユーロのチケットを買っていると、階段の上のほうからマイク越しの声が聞こえてきた。開場前から、コンサートの「前口上」が始まっているようだ。人だかりの中、背伸びをしても様子はよく見えない。ふと目をそらすと、眼鏡に髭面の、シーズンオフの若いサンタクロースみたいな青年がいた。カンタン・ロレだ。
「うわー、元気?フランスに来てたの?」
「そうなのよ。きのうまではル・マンにいたの。もしかしたら今日あなたに会えるかもって思ってたんだ」
カンタンはノエル・アクショテと一緒に東京に来たときより更に体が大きくなっていたような気がするが、人なつこい笑顔は変わっていなかった。
ホールの扉の前では前口上が続いている。
「きょうはゆかりのミュージシャン、アーティスト達がたくさん集まってくれています...ほら、今ルイ・スクラヴィスが到着しました...」
はっとして目を向けると、楽器ケースを肩にかけたルイが、右端の扉からすっと劇場の中へ入っていくのが見えた。
開場。たくさんの人々に混じって扉の中に入る。壁に遮られてステージが見えないので最初は「廊下」かと思ったそこは、すでにホール内部だった。壁にはたくさんの写真やポスター。さらに壁と壁の間に細いロープが縦横に張られ、せんたくばさみで止められたポスターが「干して」ある。その何もかもが、ARFIの歴史とモーリス・メルルの歴史を語るものだった。(photo01-03)
ゆるやかにカーブする壁に沿って奥に進むと、そこはステージの右端だった。階段状の座席はかなり数が多く、2階席もある。1階席は、コンサートが始まった頃は7〜8割は埋まっていただろうか。
全席自由だったので、私はたまたま空いていた前から2列目の中央に座った。
やがて、広いステージの上に、下手と上手から次々に人々が現れた。CDのジャケットで見たことのあるARFIのメンバーやその他のミュージシャン達(ルイもいる)、顔をみてもわからない人達。総勢40名はいただろうか。
そのなかから、中央に進み出たのはクリスチャン・ロレだった。ワークショップ・ド・リヨンのドラマー、ARFI創設者のひとり。カンタンのお父さん。
クリスチャン・ロレが最初に挨拶をし、続いてこの劇場のディレクター、ARFIの女性(ミュージシャンではなく運営スタッフと思われる)の挨拶が終わると、ロレが再びマイクスタンドの前に立った。
「きょうは、この劇場全体でさまざまなイベントが起こります。コンサートはこのホールだけではなく、ロビーや階上の小さなスペースでも行われます。ロビーでは飲み物の販売と、ARFIのCDのブティックを出していますし、トークイベントもあります。また、カフェテリアでは、チケットを見せていただければお食事をサービスします。皆さんはどうぞ気ままに、お好きな場所に移動してください。それではまず、今から演奏するブラスバンドが導き手になりますので、ご希望の方は彼らの後をついて行ってください。このステージでは、これからワークショップ・ド・リヨンが演奏します」
ロレの挨拶が終わり、再びステージ上の人々が下手と上手に引っ込んでいくと、いつのまにかブラスバンドが現れ、最前列の目の前で演奏を繰り広げると、ホールの外へと向かっていく。ブラスバンドに付いていく人達もかなりいたが(photo04-05)、私はワークショップ・ド・リヨンが見たかったのと列の中央に座ってしまったので、そのまま居残ることにした。
ホールのステージに登場したのは、ジャン=ポール・オータン(cls)、ジャン・ボルカト(b)、クリスチャン・ロレ(ds) ...そしてモーリス・メルルの代わりにソプラノサックスを演奏するミュージシャン(彼の名前が思い出せない)。ワークショップ・ド・リヨンには1987年までルイが参加していた。ルイの脱退後に加わったのがジャン=ポール・オータンだ。(photo 6)
初めて生のステージを観るワークショップ・ド・リヨン。ステージを観ている私は、やっと夢がかなったという、わくわくする気持ちを味わっても良かったはずだった。でも、思い知らされるのは「モーリス・メルルの不在」だった。
演奏は3〜4曲、20分程度で終了し、暖かい拍手が起こった。後にもたくさんのライヴが控えているので、それぞれのステージは15〜20分で終わるようだ。