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暗くなったステージの奥、スクリーンにプロジェクターでビデオ映像が映される。1990年代に制作された、モーリス・メルルの音楽活動を追った短編ドキュメンタリーだ。メインは、女性振付家とのコラボレーションによる、ダンス・パフォーマンスのリハーサル風景。途中に挟まれたインタヴューでは、モーリスがソプラノ・サックスを始めたきっかけについて話していた。
「フランスではシドニー・ベシェ人気でソプラノ・サックスのブームがあって、その数年後、中古楽器店に安いソプラノ・サックスがたくさん出回っていたんだ」
と、飄々と話すモーリス。客席に笑いが起こる。カメラは演奏だけでなく、簡単な振付でパフォーマンスにも加わるモーリスの姿を捉える。
「ダンスの専門的な訓練を受けていなくても、生まれつきダンサーの資質を持っている人がいる。モーリスもその一人」
という、女性振付家のコメントが印象的だった。
ビデオ上映のあとに若いミュージシャンによるピアノ・ソロがあり、その後セットチェンジのためしばらく休憩時間をとるというので、ホールの外に出た。
ロビーでは観客と出演者が入り交じって、思い思いに談笑している。黒髪のショートヘア、エキゾチックな化粧に、おでこに小さな光る石をつけたチャーミングな女性がいた。
声をかけられて最初はきょとんとしていた彼女が、私の名前を告げたとたん目をまんまるにした。
「ミキコ、ミキコ?!あらやだどうしてあなたがいるの、ここはトーキョー?!」
同時にルシア・レシオは私のことをむんぎゅと抱きしめた。(^^;)
「土曜の昼に、ル・マンで歌うんですよね。そっちにも必ず行きます」
「素敵だわ!今夜はずっと後で歌うから、見に来てね」
チャーミングなルシア。彼女は4年前、ご夫君のグザヴィエ・ガルシア、ドラムスのアルフレッド・スピルリ、そしてモーリス・メルルと一緒に「32 janvier」で日本ツアーをしたのだ。
ロビーには、また独特のたたずまいで、イヴ・ロベールが立っていた。
「はは〜ん。君はずっと、ルイ・スクラヴィスのコンサートを追っかけていたのかな」
・・・図星デス。
次のステージが始まる気配がすると、「ちょっと失礼」とイヴ・ロベールが急いでホールに戻っていった。私は音がし始めてから戻ったのだが、ステージでは、アラン・ジベールやジャン=リュック・カポッゾ他、金管楽器ばかりのミュージシャンにクリスチャン・ロレが加わった編成での演奏が始まっていた。トロンボーン奏者のイヴ・ロベールが慌てて戻ったのに、納得。
とてもARFIらしい、そしてアラン・ジベールのキャラクターが良く出た、ユーモアのある暖かい演奏だった。(photo7)
再び、次の演奏までかなり時間が空くというので、ホールの外に出た。扉のそばで、JPやYさんとルイが話し込んでいる。
「明日の夜、フランス・キュルチュール!」
と急にルイに言われて何のことかわからずあせっていると、明日の夜にラジオ・フランスのチャンネルFrance Cultureで、ルイの特集番組が放送されると説明してくれた。明日の夜はパリでもう予定が入っている。帰国してからネットで聴くことはできるだろうか(...デキマシタ)。
プログラムがどういう風に進行しているのかわからなくて落ち着かなかったが、JPやD君について私もカフェテリアに出かけた。トレイを持った人達の列ができている。「おいおい、なつかしのリセの学食を思い出すな」とJPたちが面白がる。プラスチックのコップでワインかソフトドリンクをもらい、メインはポーランド料理だということだが、ハンガリーのグーラッシュみたいなシチューにサワークリームをおとし、バゲットではなく、ドイツ風のみっしりしたパンを添えて。
ロビーに戻ると、ARFIの人達が椅子に腰かけ、司会者とゲストといった趣で話を始めている。ラジオのトーク番組をパロディにしているらしかった(photo8)。やがてブラスバンドが登場し、演奏をしながらホールに入り、ステージへと上がっていく。私たちもその後に続いた。(photo9-10)
その後、グザヴィエ・ガルシアとギ・ヴィレールとクリスチャン・ロレのトリオによる演奏があり(photo11)、その後もうひとつフリーな演奏があったのだが、こちらはミュージシャンも演奏もあまり印象に残っていない(^^;)
ルイが演奏するのは小ステージのほうで、深夜0時頃から始まるらしいと誰かが教えてくれて(そう、すでに23時を回っていた)、私はまた外に出た。会場に向かう前に劇場スタッフにトイレの場所をたずね、教えられた通りに階段を下りて左側のドアを開けた。年配の女性と入れ違いに中に入り、トイレに入ろうとして、私は一瞬凍った。
「...便器がない」
えーと、どう説明すればいいんでしょう。並んでいるトイレのどれを覗いても、そこにあるべき便器がなくて、床には直径15cmの丸い穴とそれを囲む溝が掘られていて、足を乗せるらしい部分が少し高くなっている。ちゃんと洗浄スイッチはついているし、これが水洗式トイレなのは間違いない。他には誰もいない。一瞬、男性用と間違えて入ったのかとあせったが、でもさっきも女の人が出てきたし、私は劇場スタッフに教えられた通りに来ただけよお。
昔の記憶がよみがえる。確か高校のとき、遠足かなにかの帰り、どこかのサービスエリアで同じような構造のトイレに出くわしたことがある。なのでなんとなく使い方がわかって事なきを得たが、しかし欧米人にはこれが自然に使えるのか??誰かに聞くのも恥ずかしくて、ナゾのままになっている。
ちょっと動転した私は、会場に行くのに迷ってまたカフェテリアに入りそうになったりしながら、小ステージの入口にたどり着いた。そこには32 janvierで会ったアルフレッド・スピルリがいた。彼も一応私のことを覚えていてくれて、少し話をしていると、すっと近づいてきた人がいる。もしや、この人は。
「ああ、彼はギタリストのフィリップ・デシェペー。後で一緒に演奏するんだ」
フィリップ・デシェペー!大好きなギタリストで、でも一度もステージを観たことのなかった彼に会えるとは、嬉しい誤算だった。わりと最近、CDを出していたのは知っていたが、彼はもう造形作家としての活動をメインにしているとばかり思っていたのだ。
「いや、最近はいそがしくてなかなか作品が作れない。むしろミュージシャンとしての活動のほうにシフトしてるよ」
と話すデシェペーの声のトーンもたたずまいも、とてもとても穏やか。なんて素敵なひと。思わずうっとり(^^;;;
始まったステージは、ギイ・ヴィレール(sax)とドラマー(Michaël Boudoux ?)のデュオ。なんとなく「カッコ」付きのフリージャズという感じで、私にはあまりピンと来なかったが、客席には受けていた。二人のデュオが終わると前列の観客が数人席を立ったので、私は左よりの席をゲットした。
次はルシア・レシオとフィリップ・デシェペーのデュオ(途中から、ギイ・ヴィレールと共演していたドラマーが再び参加)!おお、なんと嬉しい組み合わせ。ルシアは、32 janvierではあまりやっていなかった、歌詞のない完全なヴォイス・パフォーマンスと、彼女の故郷スペインの古い歌と思われるスペイン語の歌を交互に歌う。アヴァンギャルドなのに、暗さが全く感じられないのはルシアのキャラクターのせいか。フィリップ・デシェペーのギター、カッコよかったー。(photo12-14)