ファビアン・バロンティーニに聞く
聞き手:CHARLES DE SAINT-ANDRE

(1)フェスティバルの誕生

 

12年前からヴァル・ド・マルヌ県内で繰り広げられている「ソン・ディヴェール・フェスティバル」は、クリエイティヴ・ミュージックの動向を探る機会となっている。多様な音楽への関心に支えられ、またユニークな発見に富んだソン・ディヴェールでは、ジャズ、ソウル、エレクトロニック・ミュージック、伝統音楽などを聴くことができる。
僕等はフェスティバルのアーティスティック・ディレクターであるファビアン・バロンティーニに会い、フェスティバルの誕生や氏のアーティスティックな選択について振り返った後、またも刺激的な予感のする2003年のプログラムならではのポイントについて語り合った。

まず、ソン・ディヴェール・フェスティバルの由来を聞かせてください。このフェスティバルの立ち上げへとあなた方を突き動かしたものは何だったのでしょう。

12年前、ヴァル・ド・マルヌ県では2つの小さなフェスティバルが開催されていました。一つは「Avril Swing(4月のスウィング)」というジャズ・フェスティバル、もう一つは現代音楽のフェスティバルでした。私達はこの2つを統合してひとつの同時代音楽のフェスティバルにし、ジャンルの異なる音楽同士が結びつき、交流し、補いあっている、そのありかを目のあたりにできるようにしたいと考えたのです。
ヴァル・ド・マルヌ県はもともと多くの文化イベントが行われていたところなので、このフェスティバルは、文化省、DRAC(文化省と地方自治体をつなぐ機関)、イル・ド・フランス地域圏の援助を得て、ヴァル・ド・マルヌ県議会の文化行政の枠組みの中で生まれた先進的な決断でした。ですから、始まりにはあらゆる制度的プロセスがありました。しかし私達はあくまで自立したアソシアシオンです。アソシアシオンの中に、諸機構やフェスティバルの会場となる町や劇場、会計や契約規定書の監査を行う取締役会、さまざまな決定の実施を任されたプロフェッショナルなスタッフがいるのです。
私達は最も自立したやり方でもってフェスティバルを運営しています。真にアーティスティックな生活のためには、芸術は自立を保っていなければなりません。芸術は体制に奉仕するものであってはならず、その逆でなければならないのです。

あなたと行政との関係は正確にはどんなものでしょうか。

彼らとは基本的な部分について話し合います。音楽の活力はどこまで進んでいるのか、なぜこういう選択になったか?私はソン・ディヴェールで全ての音楽を上演すると言うような大それた野望は持ちません。
私達はプログラムのなかで関連性を持たせた選択を見出すよう努力しています。私の役目は、芸術的状況をつくり、フェスティバルがカヴァーすべき領域を示すことです。アーティスティック・ディレクターとしての私の仕事は、芸術表現の優先性を守り、必要な資金確保の方法について話し合うことです。

Fabien Barontini
Fabien Barontini (photo: Helene Collon)

選択を通すためには戦いも必要になりますか。

私達は、悪質な消費のための商品に過ぎない音楽を見物したい、という欲望が存在する社会に生きています。しかし、音楽は人間の主体性から生まれる一芸術ですから、その豊かさも言語構造も極めて複雑です。
プログラムするとは、第一に音楽に敬意を払う誠実さをもつことです。ですから量ではなくて質に基づいてプログラムする。視聴者を眠らせ思考停止させるための、視聴率を優先したTVのプログラムとは逆にね。芸術は私達を覚醒させ不意を突くために作られるものだから。
それはさておき、コンサートが不成功に終わることも起こります。失敗のリスクは負わなければなりません、なぜなら失敗があるからこそ大きな成功を手に入れることもできるのですから。リスクを負わなければ、私達は平凡なコンサートを見物することになる。観客が礼儀正しく退屈している、文字通り平凡なコンサートをね。

状況は悪化している?

視聴率というイデオロギーは巨大な数だけが重要視されるヴィジョンを発展させてきました。しかし、恐竜がちっぽけな脳しか持っていなかったことは良く知られています。私達のやっているようなフェスティバルは、人間の尺度で活動しています。
コンサート会場の規模は定員200人から大きなところで1500人余り。こうした人間の尺度のレベルにおいてこそ、音楽の仕事は質の良い音で、その繊細な部分まで感じとってもらえるのです。私達のフェスティバルに来てくれる観客数は、定員の85〜90%を推移しています。

フェスティバルの反響が大新聞などに載るのは不可欠ですか。

新聞や雑誌にフェスティバルの記事が出て、ジャーナリスト達は批評し、物事を先に進める。芸術的ダイナミズムをもって考えなければなりません。それが現代社会において真の存在価値を与えることになるのです。フェスティバルの「ゆるぎない」イメージを守りながらこれらのダイナミズムがどこにあるかを見ようとするのです。
私は、キャッチーで今風でステレオタイプなイメージを持つことを好みません。ソン・ディヴェールにはジャズが存在しない、という人たちさえいます。素晴らしいじゃないですか。ソン・ディヴェールにはジャズがあふれているんですよ。でもそれはある規格に従ってやっているのではない、ということです。そして、私はソン・ディヴェールがひとつの規格になることを望みません。


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