ファビアン・バロンティーニに聞く
聞き手:CHARLES DE SAINT-ANDRE

(2) 第12回フェスティバルについて〜その1

 

そろそろ第12回のフェスティバルに話題を進めましょう。メディアに関しては、Arte(文化教育専門TV局)とTSF(ジャズ専門ラジオ局)がパートナーになっていますが、コンサートの中継放送はあるのでしょうか?

ノヴァ・マガジン、オクトピュス・ムーヴマン、ア・ヌー・パリもパートナーになっています。私達は共通の関心を持つ人々と共に仕事をしてきました。こんどは、ジャズにあまり親しんでいない観客とのパートナーシップを試みようとしています。 ArteとTSFはテーマを決めたインタヴューを行う予定です。Arteではインフォメーションを流してもらったり、機材に関して協力してもらい、フラメンコに関するフィルムの放映があります。ライヴ録画を使って何かやるかもしれません。

第12回のプログラムの軸となっているのは何でしょうか。

今回の全ての音楽にはいくつかの共通点がありますが、フェスティバルはよりモザイク的な構造になっています。モザイクは異なる色合い、音楽を見るひとつの方法をあたえてくれます。それぞれの音楽がそれぞれ他の音楽と異なるものとなるために役立ち、それがさまざまな色合いの煌きを見せてくれるのです。
ヴィジョン・フェスティバルをとりあげたのは、昨年からです。彼等は独自の仕事をしています。それはバンリュー・ブルーなどいくつかのフェスティバルを除いて、フランスではほとんどみられないものです。
なぜ一晩に全てを見せるか?彼等のアーティスティックな力をより良くお見せできるようにするためです。米国に行くと、才能にあふれたミュージシャンと素晴らしい音楽に出会っていつも驚かされます。彼らの音楽は完全に自由だし、そうした音楽を受け容れるレッスンの場があります。

William Parker
William Parker (photo: Helene Collon)

昨年、ホールを超満員にした観客の熱狂には驚かされたばかりです。

観客にはこうしたミュージシャンを見たいという欲求があるんですよ。そうした事情に通じていなければならないのは、レコード会社やジャーナリストやフェスティバルのプログラマーの方です。
米国のブラックミュージック界で起こったことがあります。彼らのフェスティバルの収益はわずか0.5ユーロほど、つまり収益はないに等しい。
しかしあるときからアメリカ黒人アーティストのコミュニティは、彼らのアンダーグラウンドな活動が存在し続けられるように独自の環境をつくりあげたのです。ソン・ディヴェールのようなフェスティバルは、こうした重要なことを皆に知らせる手助けをするべきです。

ソン・ディヴェールであなたはどんな風に仕事を進めるのですか。フラメンコ・ナイトの場合、出演者のミュージシャンをどうやって見出したのですか。

フランス国内のフラメンコ・ネットワークから助言をもらっています。
フェスティバル全体がこうしたネットワークに支えられて機能しています。たとえばジャン・ロシャール(NATOレーベル主宰者)のネットワーク、コンパニー・リュバ、フレッド・フリス、マヌーシュなど...彼らは私達にとっての永続的なコンタクトです。そして時には、新たなネットワークを探します。
フラメンコは(ジャン=マルク)パドヴァーニの仕事ともつながりました。彼は4年前、すばらしい女性歌手カルメン・リナーレスとともに、ガルシア=ロルカの歌に基づいた新作を上演していました。私はパドヴァーニや、彼が知っているフランス国内のフラメンコ・ミュージシャンと良く話し合いました。そして私はたとえばイネス・バカンのような優れた女性歌手達が出演するフラメンコのコンサートに立ち会うことができたのです。
オリエント起源の彼らロマやマヌーシュ達は偉大な民衆文化を支えており、そのことに目を向けるべきです。マヌーシュについて私達は知り始めたところですが、それまでジャンゴ・ラインハルトという聖人が砂漠を通り過ぎた後については私達は何も知らなかったわけです。サムソン・シュミットのようなマヌーシュは、真の伝承文化を受け継ぐ自律した人生を守っています。
マヌーシュ音楽はとても繊細に発展してきたもので、破壊や切断とは無縁です。私は、マヌーシュが音楽を好きなように演奏してきたゆえの、あらゆる先入観から完全に自由な現代性が好きなのです。

あなたのプログラムには、ミュージシャン自身からの提案もありますか。たとえばUrsus Minorは?

ええ、いつでも。Ursus Minorは、このフェスティバルに頻繁に出演しているトニー・ハイマスのアイディアです。ジャン・ロシャールから、ハイマスがジェフ・ベック(ハイマスはジェフ・ベックのアルバムをプロデュースし、共演している)とラッパー、それから彼がIncontrolados(*スペイン市民戦争へのオマージュを捧げた大編成のコンサート)の時に好印象を持っていたフランソワ・コルヌルーと一緒にコンサートをしたがっているという話を聞いたのです。
私はこのプロジェクトの誕生に満足しています。私達が、ゆっくり時間をかけて様々な成果を煮詰めていく、いわば鍋のような役割を果たしていることを示していますから。Ursus Minorで気に入っているのは、このプロジェクトは同時にジャズでありロックでありソウルであって、どんなふうにこれらの音楽が一体となった取り組みが豊かな成果を上げられるのか、見ることができる試みだというところです。
ジェフ・ベックとトニー・ハイマスはひとつの時代をキャッチするのに長けています。音楽を作るとは、世界との関係を築くことだというのを忘れてはなりません。

Hymas et Corneloup
Tony Hymas et Francois Corneloup (photo: Helene Collon)

そこでお聞きしたいのですが、なぜラップのコンサートがプログラムされないのですか。

状況は複雑ですね。ラップはあまりにも非難され、理解されていない音楽です。ラップは激しい誤解を受けていて、ラジオでかかる大部分は商業的な質の悪いものばかりなんですよ。しかしUrsus Minorには、D' de KabalとSpikeという2人の優れたフランスのラッパーが参加します。Dead Prez、The Rootsといったラッパーはアメリカ黒人文化の一部であり、彼らは自分たちの歴史を良く知っています。Opus Akobenはマイルス・デイヴィスの取り組みを受け継ぐリズムセクションを従えた堂々たるアーティストですよ。

フランスのラップでは、ミュージシャンと対等に渡り合えるだけのキャパシティはアメリカのラップほどにははっきりしていないように思えます。ひとり、アコースティック楽器のミュージシャンと共演した素晴らしいアルバムを出したばかりのJamalというアンダーグラウンドのラッパーがいますが。フランスのラップの大部分は、演奏技術の問題と充分に取り組んでいません。だからこそ私は、ラッパーをミュージシャンと共演させ、ラップを他の歴史と結びつけたいんです。

あなたには常に信頼を置いているミュージシャンがいて、「ソン・ディヴェール・ファミリー」のようなものが存在しますよね(ベルナール・リュバ、ルイ・スクラヴィス、イヴ・ロベール、ドゥニ・コラン、ディディエ・プティ)。閉鎖的になったり、ワンパターン化のリスクはありませんか。

誰もがそうであるように、私にも「動脈硬化」の危険はあります。動脈硬化!文化行政ではしょっちゅう起こることですよ。今はたとえば、あるフェスティバルについてプレスにコンサートの批評がたくさん掲載される必要があるでしょう。重要な文化的議論が行われるように。

コンサート制作という観点から見たとき、なぜ再登場するアーティストがいるのか?なぜなら私は、馴染みとか共謀という関係がもたらす良い結果を信じているからです。でなければ永遠に人が来ては去るの繰り返しで、関係性が生み出されることはありません。定期的に出演する、基準となるアーティストを持たないことで危険なのは、私達が単なる「ザッピング」に陥るリスクを負うことです。
私は「自給自足体制」のリスクを解決するために、毎年新しい顔ぶれを迎えています。つまり、緩やかなペースでミュージシャンをローテーションさせるのです。
また、私達には1年の他の時期にもプログラムを行うことが必要で、私は行政を説得しようとしています。ひとつのフェスティバルという枠組みに通すことができない芸術的アイデアもいろいろありますから。


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