ロビーに出ていた人達が戻ってきて、ざわついていた会場が落ち着いてくると、再び場内の照明が落とされた。
ステージに現れる4人のミュージシャン。一番左にルイ、続いてヴァンサン・クルトワ、ハッス・プールセンが並び、右側にはメデリック・コリニョン。ルイ以外の3人は椅子に腰かけた。
いよいよ、始まる。ルイが結成した最新の4tet、「Napoli's Walls」世界初演。
これは、なに?
混沌のなかから紡ぎ出されてくるような、うねうねとした音。
それは、今まで私がディスクなりライヴなりで聴いてきた、どのルイの音楽とも違っていた。ドラムレスでアコースティック・ギターが入っているという編成だけに注目するなら、かつてのアコースティック・クァルテットを連想させなくもない。けれども、音は違う。まるきり、違う。
なにかとてつもなく新しいことが始まっている。
そのことが、そして自分がその場に居合わせてしまっているという事実が、私を不安にさせる。この、満員の会場にいる人達は、いまこの音楽をどのように受け止めているのだろう。
1曲目が終わったと同時に、会場に大きな拍手がわき起こった。
また、やった。Napoli's Wallsは、完全に聴衆を魅了してしまったのだ。
ここで、ルイがおもむろにマイクをとった。
「えー、PAにちょっと問題があるようなので、直している間に少し話をすることにします・・・いや、別に大して面白い話はできないんだけどね(客席からクスクス笑い)・・・どうせなら真ん中に出てきたほうがいいかな?(ステージ中央に出てきて)こんな感じでどうでしょう?(拍手)えー、きょう皆さんに聴いていただいているNapoli's Wallsは、僕の新しいプロジェクトで、画家エルネスト・ピニョン・エルネストの作品にインスパイアされています・・・」
さっきまであんなにエクスペリメンタルな演奏をしていたのに、ステージの上をとことこ歩き回って喋るルイの姿はなんともほのぼのしているので、私はやっと少し息をつくことができた。
しかし。
「では準備ができたので演奏に戻ります・・・次の曲は、僕らのグループ名と同じ"Napoli's Walls"」
と、再開したライヴに、私はまた圧倒され、ステージに釘付けになり、言葉を失ってしまった。
Napoli's Walls以外の曲はイタリア語タイトルが多く、私がリスボンの楽屋でリハーサルを聴いた「フランス語ならDivination Moderne」(ルイの怪しい^^;イタリア語の発音に会場から笑いが漏れていた)も、やはりこの4tetのための曲だった。この曲が一番、いままでのルイの作品、特に映画音楽でやってきたことに近いきれいな室内楽の形式をとっている。しかしその他の曲は、ものすごくエクスペリメンタルで、全てが違っていた。
Napoli's Wallsの「世界初演」。この夜演奏された曲は全てこのグループのためのオリジナル曲で、この会場にいた人達が最初の聴衆となった。録音も未だ存在しない。だから私には、どの曲がどうだったという細かいところを書くことはできないけれども、このグループのメンバーについては書きとめておきたいと思う。
ギタリストのハッス・プールセン(Hasse Poulsen、デンマーク人なので本当にこの読み方で良いのかどうかわかりません)。私にとっては完全に未知のミュージシャンだったが、ジョエル・レアンドルやシルヴァン・カサップとたびたび共演している彼はフランスでのコンサートを多く行っていて、もしかしたら今はフランスに住んでいるのかもしれない。隣のメデリック・コリニョンの個性があまりにも強烈なので(^^;)かなり地味にみえてしまうのだが、彼は今回のメンバーで一番フリー・インプロヴィゼーションの流れの中にいる人のように思えた。ときどきプリペアド奏法も交えて、控えめではあるがオリジナリティあふれるギターを聴かせてくれた。
メデリック・コリニョン。ルイのレギュラー・グループのメンバーとしてはたぶん最年少(1970年生まれ)の彼は、これまでにもジャズコンクールで入賞したり、クロード・バルテルミーのCDや、最近のONJのメンバーに招かれるなどして、めきめき頭角を現してきていたはずだが、Napoli's Wallsへの参加で彼の実力は決定的に人々に知られることになったのではと思う。ここに来て、急にソロ・ライヴや他のプロジェクトも含めて、フランス国内のライヴ情報で彼の名前を多く見かけるようになっている。
コリニョンは、ルイとBernard Struber Jazztetが98年12月29日にパリのNew Morningで行ったライヴに参加しているので(これはナルトさんが観戦記を書いてくださっています。ナルトさんは生コリニョン^^;を観た最初の日本人!かもしれません)、ルイはかなり前から彼に目をつけていたのかもしれない。
ともかく、ミニチュア・トランペット(コルネット?)と、エレクトロニック・パーカッションのようなもの(叩いて音を出す他に、手をかざしてノイズを出しながらコントロールするというテルミンみたいな使い方もする。あれはなんという楽器?)と、自分の声とマイクを自由自在に駆使する彼のパフォーマンスは抜群に面白い。
人間の声は何千年も前からありとあらゆる可能性を試されてきているので、わりと歌ものやヴォイスパフォーマンス系に興味を持てば、かなりいろいろなテクニックを聴くことができる。だからたいていのことにはあまり驚かなくなってしまって、私の場合は「あーあ、こりゃ"自称"シャーマン系だな」と冷ややかにながめるだけになったり、「声がきれいでよく訓練されてることはわかるけど、それなら中途半端にパフォーマンス系に走らないで、きっちりスタンダードを歌うほうがよほど声を生かせるのに」と残念に思ってしまうことが起こったりする。
その点、メデリック・コリニョンはどうか。
マイクを口元につけて人間エレクトリックベースや人間リズムボックスになったり、スキャットだかなんだかよくわからない(^^;)超早口の唱法とか、ひとつひとつを取り出せば決して彼が生まれて初めてやっているというテクニックではない。
でも、彼の声そのものの力、唖然とするような技術、異様に存在感のあるキャラクター、それらが渾然一体となって、ちょっとおかしくて猥雑で、強力なオリジナリティをつくりあげている。
そう、猥雑さ。Napoli's Wallsには、今まであまりルイの音楽に感じたことのなかった(あえて言えば、Nato時代のAd Augusta Per Angustiaにはあったか?)「猥雑さ」が感じられるのだけど、それはメデリック・コリニョンの存在に負うところが大きいのではないだろうか。
そしてヴァンサン・クルトワ。彼のチェロは、こないだリスボンで観たクインテットの時以上に冴えわたっていた。そしてあのときも感じた「チェロのブルーノ・シュヴィヨン」というイメージはいっそう強まった。
ヴァンサンは今、ブルーノ・シュヴィヨンがそうだったように、ルイに全面的な信頼を置かれて、サウンドの要になっている。
いま、「そうだったように」と過去形で書いてしまったが、これからは以前ほどにはルイとブルーノは一緒にはやらないだろうなと思う。それは別にルイとブルーノが仲悪くなったとかそういうことでは全然なくて(^^;)、ブルーノは現在マルク・デュクレ・トリオ(最近はホーンを入れてクインテットになったらしい)、フランソワ・ローラン・トリオ、ステファン・オリヴァとポール・モチアンのトリオを掛け持ちをする売れっ子になっているから、前みたいにルイのグループべったりではいられなくなっているのだ。それでだんだん、ヴァンサンが(彼も彼で売れっ子なのだけど)ブルーノの位置に来ているような気がする。また、ヴァンサンがチェリストだということで、逆にルイには本当の意味でブルーノに代わるベーシストがいないのだな、それくらい、ブルーノはルイにとってかけがえのないベーシストなんだな、とも感じる。
最後の曲が終わると、満員の客席から熱狂的な拍手と歓声がわき起こった。ルイは、初めて披露した新グループでも、すっかり聴衆を虜にしてしまった。
アンコールは、まださすがにレパートリーが少ないので(^^;)メデリック・コリニョンのヴォイスがたっぷり堪能できる「Napoli's Walls」の後半部分を再演し、また大きな拍手をもらっていた。
シャルル君と彼の友達は郊外に住んでいて帰るのに時間がかかるので、私達はその場でお別れとなった。「帰りも良い旅を」「また会おうね」
ぼんやりしていたら、なんとなく私の方を見ているカップルに気づいた。男性の方が近づいてくる。もしや。
「あなたは日本から来ているのでは?僕がアントワーヌ・サンタナです」
ルイが映画音楽を作った「Un moment de Bonheur」の監督、アントワーヌ・サンタナが奥様を連れて来ていたのだ。
「『Bon retour(帰りも良い旅を)』って誰かが言っていたので、ああ君かって思ったんだよ。ルイのマネージャーさんから、日本に詳しいファンサイトがあるって聞いて、半信半疑で検索したら本当に日本にあるんだもの、驚いたね」と気さくに話してくれる彼はスペイン人だが、ブノワ・ジャコの助監督だったそうだし、長いことフランスに住んでいるようだ。ここでお会いしたときはフランスでも映画は公開前だったが、日本にも来るといいんだけど。
「それにしても今日のステージはもの凄かった!そうそう、僕の映画にルイが書いた曲の一部も演っていたんだよ」と、アントワーヌ・サンタナは嬉しそうだ。
時間はずいぶん遅かったが、劇場ロビーのカフェテリアはまだまだ賑やかだった。私はメトロがあるうちに、サンタナご夫妻より先に帰宅することにし、奥のテーブルでワインを飲みながら談笑しているルイとヴァンサンに声をかけた。
ルイもヴァンサンも、自分たちの演奏にも、観客の反応にもとても満足したんだろうなということは伝わってくる表情だ。でも、ついさっきあんなに凄い演奏をしたばかりとは思えないほど普段の様子なのが、不思議だった。私のほうがよっぽど、うろたえてしまっていた。
「また日本に行きたいよ」とルイ。ほんとうに。まだCDでしかルイを知らないたくさんの人達が、日本でNapoli's Wallsのライヴを観ることができたら、どんなに素晴らしいだろう。