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ルイは手にした書物のページを開き、おもむろに「朗読」をし始めた。目をこらしても表紙のタイトルが読めるような距離ではなく、私には何の本なのかさっぱりわからない。一節を読み終わると、ルイはクラリネットで短いソロを演奏し、また書物を広げた。
やっとわかった。サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』だ。
ハプニングから生まれた、ルイの思いがけないパフォーマンス。まわりのお客さん達はクスクス笑っている。もしかしたらルイは原作を今日のハプニングに合わせて言い換えていたのかもしれないが、私にはわからない。「On attend Godot」を「On attend Minvielle」と言い換えた時にはひときわ大きな笑いが起こった(私にもそこだけはわかったわ...)。
それにしてもマンヴィエルの遅刻なんて予期せぬ出来事だったでしょうに、ルイはいつも『ゴドーを待ちながら』を持ち歩いているの?
3度目くらいのソロ演奏のとき、ルイの視線がふっと舞台右手の方に行った。ようやく、アンドレ・マンヴィエルが到着したのだ。客席にも、ほっとした空気が流れる。マンヴィエルは演奏を続けるルイの右側に立ち、歌いはじめた。
アンドレ・マンヴィエルは、ベルナール・リュバの盟友だ。私は彼のソロアルバム「!Canto!」(labeluz)が大好きで、個人的にはベルナール・リュバ以上に彼とルイのデュオを楽しみにしていた。2人は、同じステージに立ったことなら数え切れないほどある。でも、「デュオ」での共演は、きょう、このステージが史上初なのだ。ああ、マンヴィエルが間に合わずにコンサートはルイのソロに急遽変更、なんてことにならなくて良かった!
スキャットのような民謡のようなそのどちらでもないようなマンヴィエルの歌が、古い教会に力強く響き渡る。ルイもクラリネットやバスクラでそれに応える。時には2人が手拍子だけで演奏をしたり、マンヴィエルがタンバリンのようなパーカッションを演奏することもあった。
「!Canto!」や、アコーディオン奏者マルク・ペロンヌのアルバムなどで聴いていたアップテンポの「Rocarocolo」は、マンヴィエルの「Vocalchimie 声の錬金術」の真骨頂。くーっ、カッコイイ。
ライヴの終盤にさしかかったころ、こんな田舎町に似合わぬバイクの爆音が何度か響いてきたのだが、2人はその騒音も手なずけて、声と楽器と身体の魔法を繰り広げてみせた。
大成功に終わったライヴの後、アンドレ・マンヴィエルにサインをもらったりしていた私は、いつの間にか打ち上げに参加させていただけることになっていた。知らないうちにJさんがフェスティヴァルのスタッフに話をつけて下さったのだ。
「僕らは仕事もあるし先に帰るから、楽しんでおいで」と、Jさんはウィンクする。ああ、JさんとRさん。お二人にはどんなお礼をしても間に合わない。
後かたづけが終わると、皆は数台の車に分乗して打ち上げ会場に向かった。
途中で、バイクを乗り回しているおにいちゃんを見かけた。あの騒音の正体は、彼だったのか。
打ち上げ会場は、小さな文化センターのような建物のひと部屋だった。長いテーブルを囲むと、でてきたワインのラベルは今年のフェスティヴァルのポスター!コンサートの始まる前に挨拶をしたムッシューが用意したものらしい。すごいわ。すごいわ。
フランスパンと美味しいリエット、チーズ。メインは田舎風のこれまた美味なシチュー。すごいわ、すごいわ。
「みんな、覚えてるかい。2年前、この街でライヴをやったときのこと。クロード・バルテレミーとクロード・チャミチアンが出演してたよな」と、ディレクターのアルマンさんが話しだした。
「ええ、忘れたくとも忘れられないわ。ほんとうにショックだったもの」と、近くの席に座った上品なマダム。2年前、大統領選の第1次投票で、この町では、ジョスパンでもなくシラクですらない、国民戦線のジャン=マリー・ル・ペンの得票数がトップだったのだという。それが分かったのがフェスティヴァルの最中、この町でコンサートが行われた日だったのだそうだ。
私は、バイクを乗り回すおにいちゃんのことを思い出していた。のどかな田舎町にはアンバランスな爆音。旅行者にはわからないよどんだものを、この小さな町は抱えているのかもしれない。
「日本語ではcaillouのことを「ISHI」っていうのかい?」と、アンドレ・マンヴィエルに突然たずねられて私は面食らった。
「ええ、イシ。石です。でもどうしてそんなことご存知なんですか?」
「僕は南仏の小学校で教師をしていて、子供達にいろんな外国語を集めてくる課題を出すことがあるんだ。そうすると、親の出身地の言葉を調べてくる子が多くてね。なかには日本人の親を持つ子もいるんだよ」
その後、マンヴィエルは、日本人ミュージシャンと共演したときが凄く面白かったというのを話してくれた。その共演相手がアシッド・マザーズ・テンプルの河端氏だということがわかるまで、異様に時間がかかってしまったのだったが(^^;)
ルイはアコーディオン&ピアノ奏者アントネッロ・サリスの話をマンヴィエルにしていた。サリスのハチャメチャぶりを「あいつが隣にいたら、デデ、おまえだってドイツ人だよ!」という説明が可笑しかった。
Jazz Magazine誌4月号の別冊で、ルイが「ドゥルーズのライプニッツ論」を引用してしゃべっていたのを、「それって『Le Pli』(『襞』という邦訳が出ている...汗)から引用したのー?」「いや、本じゃなくて、ドゥルーズの講義の録音を集めたCDがあるんだよ。それを聴いたんだ」という話をしていたときだったか。ルイの隣にいた、かわいらしいおばあちゃマダムが私の方をのぞき込んだ。
「哲学者のサラ・コフマンはご存知?」
「ええ、まあ、お名前は・・・(汗)」
「私の妹なのよ」
「・・・(^◇^;)」<まじで口が開いたまましばらく固まっている
頭が混乱してきた。
ここはどこ?ここに集まっているのはいったいどんな人達なの?どうして私がこの席にいられるんだろう?
「彼女はもう亡くなりました。自ら死を選んだのよ...まあ、そのこともご存知なのね。著書は日本でも翻訳が出ていますから、ぜひ読んでみてくださいね。彼女はフランスの偉大な哲学者(grande philosophe française)ですもの...
ええ、少なくとも彼女が大柄(grande)だったのは確かよ!」
と、おばあちゃマダムはいたずらっぽく微笑んだ。
(コンサートの時の写真を3枚、ギャラリーに掲載しています)