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「きょうは天気が悪いそうよ。午後には嵐になるんですって」
レセプションのほっそりマダムが残念そうに言う。どんより曇った空。でも、今まで天候に恵まれていたのが、この地方のこの季節には逆に珍しいことなのだそうだ。
初日の朝食はひとりだったが、だんだん宿泊客が増えている様子だ。年配の夫婦や、いかにもビジネスマンという感じの男性が先にテーブルに着いていた。
寒いのでショールを羽織って、折りたたみ傘を持って出かける。ふと、「@」マークのついた看板に目がとまった。サイバーカフェだ。いつも通る道なのに、今まで気付いていなかったのだ。さっそく入って、「orangina」の缶を買って、ネットを使わせてもらう。
通りの向こう側のカフェで昼食を済ませた頃に降り出した雨は、ホテルを出る頃には本降りになっていた。
傘を差して、駅前で迎えを待つ。しばらくすると、1台の車からこちらに手を振る合図がみえた。
彼は、コンサートのときにいつも撮影に入っていたTVクルー3人組のひとり。きょうのコンサート会場はかなり遠くにあるというので、ル・マン市内に住んでいる彼が私をひろって同乗させてくれることになったのだった(ひえー!)。
撮影隊は、ツアー初日からルイを追いかけている。今回のツアー全体を、52分(つまりCFを入れて1時間)のドキュメンタリーに仕上げるのだそうだ。番組は今年の秋頃にMezzoあたりの有料TV局で放映されるらしい。
しばらくすると、ホテルのマダムが言っていた通り、雨は土砂降りの嵐になった。それでも車はスピードを少しも落とさず、まっすぐで見晴らしの良いガラガラの道路をびゅんびゅん走り抜ける。両側の窓にじゃぶじゃぶと水しぶきがかかり、モーターボートに乗ってるみたいだねと2人で笑った。窓から見えるのは海ではなく、こんな嵐の中でものんびり牧草を食べている牛や羊なのだが。
会場のある街、トレラゼに入る頃には、嵐はおさまって普通の雨になっていた。トレラゼはアンジェの近く、ル・マンからは80kmくらい離れている。TVクルーの彼も行くのは初めてだそうで、街に入ってからは携帯電話にイヤホンをつけて、劇場スタッフに電話でナビゲートしてもらっていた。
「おー、着いた着いた」
と、言われても、はじめは本当に着いたのかどうかよくわからなかった。広い敷地に、似たような低い建物がいくつも並ぶ。プログラムには「Théâtre de l'Avant-Scène」としか書いていなかったが、どうやら、ギャラリーや劇場がいくつかまとまって建てられている場所らしい。いくつかある門のひとつを通って、車を停める。
「オレは準備があるから、先に入りなよ」とTVクルーの彼に促され、小さなドアをうっかり通り過ぎて「こっちだよ!」と劇場スタッフに呼び止められて、あわてて中に入ると、そこはもう劇場の中だった。ステージでは、スタッフがセッティングのために歩き回る中、ルイとブルーノ・シュヴィヨンとフランソワ・メルヴィルがリハーサルを始めていた。
1999年の来日公演を行ったトリオ。私にとっては5年ぶりのステージだが、彼ら自身にとっても、3人だけでのステージはかなりひさしぶりになるはずだ。
わーいわーい、ひとりじめだわ。私は調子こいて最前列に座って写真を撮った。後でみると、みょーにブルーノ・シュヴィヨンを撮った写真が多い。なにしろ今回の目的のひとつは、「ブルーノのブロマイド写真を撮る」ことだったんだから(←半分ウソです。半分は本気)。楽屋から戻ってきたルイが、なにかよっぽど面白いことがあったらしくて、ヒャッヒャッヒャといつまでも笑っていたときの写真もある。
そのうち撮影が始まったので、遠慮して後ろの席に移ってリハーサルをながめていた。
3人は「procession」のイントロ部分を何度も練習している。ルイがちょっとコード進行を変えて、ブルーノが「ちょっと難しいからメモしといていい?」と譜面に書き込みをしたり。
香港公演で初めて聴いた(そして、ジャン・ドロームとのライヴアルバムにも収録されている)曲では、ルイがフランソワに「そこで凄くヘヴィなドラミングで入って」と指示すると、ブルーノが「ジョン・ボーナム、ジョン・ボーナム!」と言うのが聞こえた。
しかし、リハーサルなのにこんなの聴かせていただいちゃっていいんでしょうか、というくらい演奏のテンションは高い。特にブルーノ・シュヴィヨン。うわー、弾きまくっております。カッコよすぎます。だから今はリハーサルだっていうのにい。今からこんなに弾いちゃって本番はどうするんでしょうか。
ルイが1フレーズ軽く何かを吹いた途端、フランソワが笑って合わせはじめる。ブルーノも、やけにスウィングしてるベースを弾きだした。
・・・「マック・ザ・ナイフ」!ルイ・スクラヴィス・トリオの「マック・ザ・ナイフ」。これは本番のステージではとても演りそうにない。超レアなもの、聴いちゃいました。えへへ。
リハーサルを終えて3人の姿がステージから消えると、しばらくして舞台袖のほうから再び、こんどはピアノで「マック・ザ・ナイフ」が聞こえてきた。たぶん、ルイが弾いていたのだろう。
(リハーサル時の写真を、ギャラリーに掲載しています)