前を読む
車は渋滞に会うこともなく、結局開場時刻よりも早めにアランソンのScène Nationale(ウェブサイトがある)に到着した。
きょうは、Europa Jazzでのルイのツアー最終日だ。
ここもかなり立派なホールだ。赤と黒を基調としたロビーにはしゃれたバーカウンターがある。レセプションの奥の壁には、なぜか大きな黒板(緑色の、教室にあるような)があり、チョークで今日のプログラムと紹介文が書かれている。
「あら、すてき。古き良き学校のお教室みたいよ」
とRさんが喜んだ。受付の女性がいるので遠慮してしまったのだが、やっぱり写真に撮っておけば良かったなあ。
この日はひとつ、プログラムに残念な変更があった。コンサートの前か後かにエルネスト・ピニョン=エルネストとルイによるティーチ・インが行われるはずだったが、ピニョン=エルネストが都合で来られなくなってしまったのだ。当初は、代わりに哲学者ミッシェル・オンフレー(ピニョン=エルネストに関する著作がある)が来るはずだったそうだが、オンフレーも病気、それも心臓発作とか、本気で安静にしなければならない状態になって来られなくなり、ティーチ・インは結局中止になった。ピニョン=エルネストに会えるのならぜひ聞いておきたいことがあると思って、今回の旅にはあまり分厚くない作品集も持ってきていたのだが、前日のうちにティーチ・インの中止が判ったので、会場には持参しなかった。
開場。早めに着いたおかげで、前から3列目の席をとることができた。階段席になっているので、とても舞台が見やすい。ポルタル様とのデュオが行われたサブレ・シュル・サルトのホールに次ぐ席数があったと思うが、開演が近づいた頃には、両端のブロックを除くとかなり席は埋まっていたようだ。
場内が暗くなり、Napoli's Wallsの4人がステージに現れた。
一番左にルイ。これは、2002年ソン・ディヴェール・フェスティヴァルでの初演の時と変わらない。でも、他の3人の位置は入れ替わっていた。初演のときは左から、ルイ、ヴァンサン・クルトワ、ハッセ・プールセン、メデリック・コリニョンと並んでいたが、今はルイの隣にメデリック、ヴァンサン、ハッセが右端の位置に着く。これは、グループが活動を始めて早いうちに変わっていたらしい。2002年7月、ヴィエンヌのジャズフェスティヴァルのコンサートの模様はフランスでTV放映されたことがあるが、このときすでにルイの隣はメデリックだった(すみません、見てます...^x^;)。これはルイが、一番「手綱」を引っ張らなければならないメンバーを一番そばに置いたのかな、と勝手に解釈しているが(笑)。さらに、曲によっては初演時から数ヶ月ですっかり変貌してしまったものもあったのが、驚きだった。
インプロヴィゼーションから入って、始まったのは「Napoli's Walls」だった。ああ、これがいきなり1曲目なのか。初演のときは「Guetteur d'Inaperçu」だった。
この夜、演奏した曲をメモしておこう。
Napoli's Walls。その初演を生で見たのが、2002年2月9日。それから、映像を見る機会があったり、ラジオのストリーミング放送でライヴの一部を耳にしたりして、ECMからアルバムがリリースされたのが昨年秋。
何度も何度もアルバムを聴いてすっかり曲になじんでいたおかげで、きょうのライヴはさすがに、あの初演の日のようにわけもわからず不安になるというような体験ではなかった。
でも、グループはやはり、大きく変化していた。
リリース前にはとても心配していたアルバムは、その心配を大きく裏切ってくれる素晴らしい出来だった。ライヴと較べても遜色のない...というのとは少し違う。ライヴとは次元の異なる、スタジオ録音ならではのNapoli's Wallsを、4人は追求したのだ。ルイがECMからリリースしたアルバムのなかでも、Napoli's Wallsは頭ひとつ飛び抜けている。
「ECMレーベルからのリリース」が、このアルバムにどれほどの影響を与えたのかは、私にはわからない。たとえばイヴ・ロベール・トリオの「in touch」の場合、ライヴとアルバムが全然違うので驚いたのだが、後日ロベールのインタヴューを読み、彼がアイヒャーのリクエストに積極的に応えてレコーディングを行っていたとわかって納得したことがあった。一方、ルイたちの発言を読んでいると、Napoli's Wallsの音作りには、大部分のコンサートにサウンド・エンジニアとして関わってきたジル・オリヴェシが大きく貢献しているようだ。アイヒャーの存在がどの程度影響を及ぼしたのかは定かではない。でも、Napoli's Wallsがレコーディングを行ったのは、オリヴェシのいるStudios La Buissonneである。そのことの方が、Napoli's Wallsのアルバム・レコーディングの重要な鍵になっていると思う。たとえどのレーベルから出たとしても、結果的に今回のような音になったのではないかという気さえしている。
そして、今夜のコンサートだ。演奏自体の変化として印象に残ったのは、「Colleur de Nuit」が「生演奏によるリミックス」のような、エレクトロ色が前面に出たアレンジになっていたこととか、「Napoli's Walls」のメドくんのスキャットが「シャバダバダバ」だったというのもあるが(^^;)、初演の時とも、アルバムとも大きく違うのは、インプロヴィゼーションの部分が大幅に増し、その分、1曲1曲のヴォリュームも増していることだ。そしてルイが、他の3人に演奏を「預ける」という感じで、どんどん自由に演らせる場面がとても多い。インプロヴィゼーションはそれぞれのソロであったり、メデリックとヴァンサン、あるいはヴァンサンとハッセのデュオになったり、3人の演奏が絡み合って突き進んで行く形になったりと様々に展開する。そのあいだ、ルイは1番左側の自分のポジションから更に奥に引いて、腕組みをしてメンバーをじっと見ていたり、ときには瞑想するように聞き入っている。たまに自分も音で加わろうと試みることもあれば、誰かがいいフレーズを弾いた時には、ふっと頬笑みを浮かべる。
3人のメンバーも、ルイの信頼によく応える。一見、そのパフォーマンスで一番「目立つ」のはメデリックだ。メデリックの存在がNapoli's Wallsの要になっていると考える人は多いだろうし、それはある面で真実でもあろう。しかし、メデリックとヴァンサンとハッセ、Napoli's Wallsにおけるそれそれの重要性は全く対等だ。初演のときにちょっと地味な気がしたハッセ・プールセンの炸裂ぶりも凄いし(実際、jazzman誌2004年4月号の記事によれば、ハッセは初演のあと「オレってダメダメだー」とヘコんでいたそうだ。やはりあの時はまだ彼は存分に実力を発揮していなかったのだ)、ヴァンサン、見るたびに彼の演奏が繊細に、ワイルドに、磨かれているのを体験するのはなんという喜びだろう。
そしてもうひとつ大事なのは、3人をこれほど自由に羽ばたかせているのは、Napoli's Wallsというプロジェクトそのもの、Napoli's Wallsにおけるコンポジション、そして彼等を見守っているルイだということ。
いつのまにか3人のエンジンを全開にし、猛スピードで回転させ、しかも彼ら自身が絶妙のコントロールで前進し、上昇できるまで導いているのは、リーダーである、ルイだ。そしてインタヴューを読む限り、そのことを誰よりも自覚しているのは、当の3人だ。
ステージを見ながら、「スタジオレコーディングのアルバムとライヴはまったくの別物」ということを、私は痛感していた。
何度も同じことを書いているが、この違いは、決してスタジオレコーディングが「劣る」とかそういう問題ではない。「別物」なのだ。そしてこのライヴの「別物」さ加減は、ちょっとやそっとのライヴ録音ではなかなか伝わるものではない。ジル・オリヴェシのような、ルイの信頼厚いサウンド・エンジニアが優れた録音を残し、しかも映像つきになって、やっと本当のライヴ体験に近付くものだろう。しかも、その過去のライヴは、あっという間に、文字どおり過去のものになってしまい、Napoli's Wallsは、もう別の場所にいる。
間違いなく、次に見るときには、さらなる変容を遂げているだろう。ルイたちも、Napoli's Wallsを芯にしたプロジェクトについて、いろいろとアイデアを持っているようだし。
終演後、ひさしぶりに会ったヴァンサンから、彼の兄弟がフランス国立管弦楽団のチェロ奏者としてほんの1〜2週間前に日本に来ていたと聞いてびっくりしたり、初めて会ったハッセ・プールセンの、見上げるような背の高さを確認したりして、最後には、メドくんに笑い死にさせられて(^^;)ル・マンのルイのツアー最終日は終わった。
明日はリヨン、あさってはパリ。ル・マンには、土曜日に戻ってくる。
ギャラリーに、Napoli's Wallsのコンサートの模様と、「メドくんと遊ぼう」コーナーがあります。
それから、あまりにぼけぼけだったためギャラリーではボツにしていたメドくん写真2点も公開しちゃいます。(写真7)
「オレ、Bernard Struber Jazztetでもルイと一緒に演ったし、パオロ・ダミアーニのONJにルイがゲストで来たときもイタリアで一緒にやったんだぜー!」としゃべりまくり、私のデジカメ画面で写真を確認しては「すっげー!おもしれーっ!BADABOUM!」と大騒ぎするメドくんはほんとに小学生みたいで、ピュアですてきな男の子。みんな、メドくんに会ったら彼のこと大好きになっちゃうよ。