ブノワ・デルベック&イニアテュス(Jerome Rousseaux)のインタヴュー、第三回、「Le Metier de Musicien」後半です。けっこうごまかしてまあす(^^;)
前置き、第一回、第二回と合わせてお読みくださいまし。
LE METIER DE MUSICIEN (suite)
ミュージシャンという仕事 (続き)
Jerome: 今はミュージシャンとして生活も成り立ってる?
Benoit: まあね、でもやりたいことだけやってるわけじゃないから。自分がいいと思ってるミュージシャンと一緒なら、けっこう好きなようにできるけど。昔は、やりたいことをやるというのが、ある段階ではいかにポリティックな意味を帯びるか、そしてとりわけジャズの世界ではそれがいかに制度に取り込まれてしまうか、ということを全然わかっていなかったから、そんなことは考えもしなかった。そして僕の気に入ってるミュージシャン、真摯に取り組んでいる人達はやりたいことをできているのだから、自分のやり方を保っていればうまくいかないわけがないだろうと思っていたわけ。だから、後から現実を知ってメゲたね。
あのころ、プラザ・アテネ(註:パリの超豪華ホテル)のピアノ・バーでも演っていて、現金で200フランもらってた。ダヴィッド・ルイスと一緒に仕事をしてたんだ。彼は長いことアルチュール・アッシュのバンドのトランペッターだった。ダヴィッドとは仲が良くて、同じスケジュールで演っていた。彼もピアノがうまくてね。彼は今、ル・キャバレ・ソヴァージュ Le Cabaret Sauvage 、アルチュール・アッシュ、ベル・デュ・ベリー Belle du Berryなんかと一緒にやってる。
ある日気づいたんだ。僕らは200フランもらってたけど、本当は800フランもらえるはずで、なのにスケジュールを作ってた女と副支配人が差額をピンハネしてたってことをね。あのホテルは一番高い部屋が一泊2500フランで、部屋は200も300もあって、それが満室なんだ!なのに連中は僕らに200フランしか払ってくれない!しかもピアノは音が狂いまくっててサイテー!それでもこの仕事を続けたのは、好きなものを弾けたからさ。この仕事でモンクの曲のほとんどを覚えたし、仕事中の演奏を録音して翌日聴きなおすようにしていたんだ。
Jerome: だから続けられたわけだ。
Benoit: そう、自分の勉強に活用したってこと。スモーキングに蝶ネクタイつけてさ、しまいには破けちゃったけど。それに、自費で500フラン、二晩半の稼ぎ分を払って調律師を呼んだよ。少なくともちゃんと音の合ってる楽器で演奏したかったから。他にもいろんなとこで演ったね。ピザハウスとか、プライヴェート・パーティとか。パーティの途中で停電して、みんなが「うわーっ!!!」とか騒いでるのにそのまま演奏してたこともあったな。
Jerome: (笑)
Benoit: あのころ、僕は16か17で、500フラン払った。で、昨晩の僕の稼ぎは400フラン!信じられない、15年かかってこれだよ!まったく!
- ジェロームは経済的にうまくいってる?
Jerome: 僕はともかく、自分の音楽で生活したことはなかったからなあ。今やっていけつつあるのは、自分が作詞家兼作曲家兼演奏者兼レコード屋(註:イニアテュスは自分のレーベルを持っている)だからだと思う。レ・ゾブジェ Les Objets をやってた頃は他の仕事をしなかった時期もあるけど、そのときは貯金を使っていて、後でまた貯金できるように仕事に戻ったよ。
だって、そうしなきゃ生きていけないんだから。そもそも、コンサートは稼ぎにならない。一時期、SACEM(註:フランスの著作権協会)からちょっと金が入ったことはあるけど。曲がM6(TV局)やRTL(ラジオ局)でけっこうかかってたから。
Benoit: お年玉みたいなもんだね。
Jerome: そう、でもお年玉じゃ生活費にはならないわけ。だからいつも別の仕事をしてた。でも、それも本業の邪魔にはならなかったよ。僕は何か他のことをすることで自分の独立を守っていきたいと思っていたから。
あと、大衆を相手にしていながら全然売れなくて飢え死にしそう、っていうときの問題は、音楽を続けるために売れそうな曲を書く、つまり譲歩を強いられること。でも完全に独立していれば、やりたいことができる。今は自分のレーベルを持っていて、上からなんだかんだ文句をいう奴がいないから余計に好きなことができるね。収入源を別にもっていたおかげで、僕は完全な自由を手に入れた。その結果、うるさいことを言う奴は一人もいない。これは本当にすばらしいことだよ。
今は別の仕事をする時間はとれないけど、レ・ゾブジェの頃は、音楽一筋でいこうと副業をやめたら、バカみたいに無駄な時間を過ごしてしまうということがよくわかったよ。テレビを見たり、自分みたいにダラけたミュージシャン仲間に電話したりさ。で、副業あればこそ自分の時間を管理できて、創作も進むとわかった。ますます仕事をしたよ。だってダラケたリズムにハマったら、時間を無駄にするのも2倍になるからさ。
一番仕事をしたときは、一日10時間労働だった。オリヴィエ(註:レ・ゾブジェのメンバー)がグループの契約にサインしたら、僕は僕でナタン(註:Nathan、フランスの出版社)で出版契約を結んだばっかりでさ、もう奴隷みたいに働きづめだったよ。8時に帰宅して、8時から10時までは歌をやって、歌詞を書いて、昼の間にオリヴィエが作ってた曲を練り直して。そして11時になると、マックを立ち上げて本の原稿にとりかかる。
Benoit: 僕もピアノを教えてたから、ちょっとそんな感じで時間の管理をしてたね。ピアノ教師はずっと前からやってる。IACPに入って2年後には、僕がそこの教師になったんだから。教えたいという気持ちはいつも持っていたけど、今は飽きちゃったなあ、同じ事の繰り返しだし。
でも、学んだことも大きいよ。教えること、ものごとに名前を与え説明することで、僕の仕事も組み立てられていったんだ。数え切れないほどレッスンをやった。そして生徒を玄関から見送ったあと、ピアノの前に座って気づくんだ。さっきの自分の説明が、自分自身のためにもなっていて、問題がよりよく見えるようになっているって。こうやって自分が作られてきたんだね。演奏して、コンサートをやって、教師もやることで。教えることが、反省にもつながってきたんだ。
Jerome: 僕は、いつも副業は音楽と切り離していたいと思ってきた。例えば僕はジャーナリズムの仕事をやったけど、音楽ジャーナリストになろうとは絶対思わなかった。僕がやったのは学術ジャーナリスト。これも面白かったよ。別の仕事をやることで、常に世界に目を向けていることができたしね。ミュージシャンをやっていると、家にこもって、ミュージシャンとばかり付き合うようになるという問題がある。話題は音楽とレコード会社のことばかり。「○○のビデオクリップ見たか、くっだらねーの」「××の新譜ってサイテーだろ」「あれはいいぞ」とかね。で、ちょっと閉じた世界にこもってしまうことになるんだ。
僕にとっては、歌詞はすごく重要で、仕事をしてるとき、ラ・デファンス地区で働いてる連中にインタヴューしたり、いろんな記事を書いたりしていて思いついたアイデアがいっぱいある。僕は普通のこと、日常生活、三面記事なんかの話が好きなんだ。仕事をしていればそういう日常に浸かって、日常を見て、生きることができる。デファンス地区に行ってどれもこれも似たようなオフィスを見たり、そこで働いてる人達に会うことで、たくさんのインスピレーションを受けたよ。
- そうやってネタをいろいろ貯めておいたわけでしょう、1日の終わりに音楽を作ることになってるわけだから。で、いよいよこれだというアイデアが浮かぶと...
Jerome: たとえ昼にやっと起き出して、ケーブルテレビのザッピングして、あいつやこいつに電話していたとしても...
Benoit: そんなの一度もしたことない!(笑)
Jerome: ちょっとやったことあるなあ...
Benoit: 僕は何年もテレビなしの生活だったんだから!
Jerome: で、歌詞を書くというのは自分自身を語ることになるんだ。僕はいろんなところへ旅もした。無理やりにね。というのは、すごい出不精で、家にいるのが大好きなもんだから。仕事も旅も、自分を他者と出会わせ、変えていくための挑戦なんだ。
- 自分の表現に文学はどんな影響を与えた?
Benoit:
文学の影響はずいぶん遅くなって受けた。僕が最初に持った文学への関心というと、韻律のリズムだったね。バカロレア(大学入学資格試験)は理系だったから、教わった国語教師はしょうもない奴ばっかりで、そのせいで読書なんて全然興味を持てなかった。ゾラを読み始めたのが22歳なんだから!結局今は、だんだんいろんな作家にハマって、たくさん本を読むようになってる。もちろんそれも面白いよ。でも、長いこと、譜面台の上に本を置いて研究してきたのは詩なんだ。パウル・ツェランの書いてるような。その音節から生まれる声のリズムにあわせてインプロヴィゼーションしていた。それは、何かを表現したいからという興味ではなかった。この試みはどんどん発展したよ。特に、マルク・デュクレとの議論を重ねてきたおかげだ。彼は音楽と、とても文学的な関わり方をしているから。彼が心酔してるのはナボコフ。"les reseaux"(註:原題・邦題がわかりません!ご存知の方教えてくださいー)とかね...
それが数年前のこと。それで、僕は文学に飛び込んで、ついに作家オリヴィエ・キャディオ(註:Olivier Cadiot、10月の来日公演はこの作家とのコラボレーション)と出会ったことによって、今やっているようなことに興味を持つようになったんだ。だから文学との関わりのなかで、僕はまるで正反対のことをやってる。まったくおかしなことなんだけど。でもとてもクールだし、凄いパワーを受けるよ。
ずいぶん長いこと、1時間でもあればレコードの採譜をしてるか聴いてるかピアノの練習をしてるかで、本を読む時間なんてとってなかった。だから文学との関わりはつい最近、ここ4、5年のことなんだ。
Jerome: 僕の場合、音楽より書くことの方が先だった。こないだ母が、僕が10歳のとき母の日のプレゼントで書いた詩を見つけてきてさ。「庭の小鳥たちは僕の親友/パリから来たのなら素敵だな」って。小学生用のノートに、詩を書いていたんだ。その後、16歳で暗黒の時代が来たね。ボードレリアンになってさ。ボードレールの詩を10以上暗記していた。『悪の華』を読んで、自分でもたくさん書いたよ。短篇とか長編小説とか、いつもやってきたことだ。書くことは常に僕にとって重要だった。
- 先に詞を書いて、後から音楽がついてくる?
Jerome: 最初、僕は短い詩を書いていた。それから歌を書くようになった。でも、歌を書くときには歌詞と曲は同時進行だよ。一種の相互浸透を起こしながらできあがっていくんだ。
レ・ゾブジェで困ったのは、オリヴィエがメロディを出して、それに僕が歌詞をつけ、自分の声を乗せるんだけど、いつも上手くいくとは限らなかったということ。
ちょうど『リベラシオン』紙でバルバラの記事を読んだら、バルバラが自分の歌詞と曲を書きながら、自分の声や、歌い方や声の乗せかたを見つけていったという話をしていた。僕も本当にそんな感じなんだよね。他人が作った曲を歌うときはものすごく苦労する。日曜にピエール・バルーとやったコンサートでは本当につらかった。自分で作った曲じゃなかったからさ。僕は自分の曲しか歌えないし、僕のスタイルは自分の言葉と自分の音楽にしか合わないんじゃないかって感じてる。
(以下、次回に続く)