「つかの間のリーダー達による想像的民俗音楽」第4回です。
しかしどんどん怪しくなっていくのだ。あとできっと直すところがいっぱい出てくるぞ。それでも懲りずにお読みいただけるならば、 第1回 17/07/98、 第2回 23/07/98、 第3回 26/07/98に続けて、どうぞ。
LE COLLECTIF DES LEADERS EPHEMERES
つかの間のリーダー達がつくる協会
J.M.:
いつも問題になるのは、ある時、ある状況のもとで、いちばん物事を進めることができるのは誰か、ということだ。
A.G.:
オーガニゼーションとか、演奏テクニックを教えるとか、作曲とか、それぞれが異なる能力を持っている。ひとつの領域で能力を持っていることが、他の領域での権力を与えるということにはならないけれど、一種の錬金術みたいな作用でそうなってしまうことがあり得るから、皆とても警戒している。でも、そのことも大きな議論の的になったことはない。暗黙の了解事項であって、だからこそ最も重要なんだ。
J.M.:
ひとりひとりに、それぞれの実力を発揮できるフィールドがあり、自分が考えた音楽プロジェクトを提案する機会がある。何か提案しなければ、ARFIの中で居場所が見つからないとさえ言えるね。グループをただ利用する立場に居座り続けるのは難しい。
A.G.:
古株のメンバーが優遇されるということもない。たとえば、ARFIの一番新しいグループのひとつである「 Bomonstre ボモンストル 」を作ったのは、一番新しいメンバーのパトリック(シャルボニエ)だ。このトロンボーン・トリオを作りたいと思ったのは彼で、彼が僕を説得したんだ。
Patrick Charbonnier (以下P.C.):
僕は1990年にARFIに加入した。「ターザン」(訳注:サイレントのターザン映画を上映して演奏するプロジェクト)でトロンボーンが一人足りなかったんだ。僕が音楽を始めたのは20歳と遅かった。コンセルヴァトワールではずいぶん古めかしい教育を受けた。やたらに高いところに目標が設定されていて、常により多くの知識を得、より多くのテクニックをこなさなければならなかった。「完璧」な段階に到達しなければならず、そこで初めて演奏が許されるといわんばかりだった。ARFIにたどり着いて、僕は「なぜ自分は音楽をやりたいと思ったのか?」という基本的な疑問に、見事に立ち戻ることができたんだ。じっさい、僕は今まで少しずつ棄て去ってきた何かを、ごくゆっくりと再発見しはじめた。
ここで気に入っているのは、個人が望んでいることが、ARFIの望みになること。それから、「限界」や「欠如」に対する一種の倫理的・美的な姿勢−過ちであっても、それがやがて美に変わるようにと受け入れる、ここの流儀も好きなんだ。
A.G.:
ともかく、ひとりひとりはリーダーであり続ける力は持っていないから、みんなで仕事を分担してるのさ。
M.M.:
協会には優位性と拘束力がある。例えば君がリーダーであれば「自分はこれをやりたい、それが全てだ」と言うだろう。でもARFIの内部では君が出した提案が通らないことがあるんだ。そうなったら次の機会までその提案を引っ込めておくというわけさ。
A.G.:
音楽と協会は相反しているとつくづく感じることがある。時には音楽を協会の犠牲にしてると考えるかもしれないし、その逆もあるだろう。例えば、あるドラマーが全然ダメで、そのせいで音楽も台無しになったとする。それでも彼のことを追い出したりはしない。彼にも事情があるのはわかっているし、協会に戻ってこれるようにしておくんだ。協会か音楽かを選ばなければならないことも皆わかっているけど、僕らは音楽を唯一の目的にしたくない。音楽から人間性を奪ったら、もう音楽が存在する意味はない。だから協会の方を選ぶんだ。人間性を、触れてはならない美しいものとして重視しているのは、音楽よりも協会の方だから。音楽には気の毒だけど、次にいいコンサートをすればいいんだから、大したことじゃない。決心して協会を解散すれば、もうちょっと恰好の良い音楽にできるかもしれないが、そうはしないんだ。皆は僕の意見をどう思うかな。
M.M., J.M., A.R., P.C.:
賛成。
M.M.:
演奏中のマルミト・アンフェルナルのイメージは、ARFIのとても良いイメージだのひとつだ。ベルリンでのコンサートが終わった後、ドイツ人ジャーナリストが僕らの「ステージに立つことのアナーキーな歓び」について書いていた。うん、そんな感じだね。
A.G.:
確かに僕らは皆、大衆音楽から始めたし、音楽は独学で、上流の出身なんて一人もいない。そして常に、アナーキーを自分たちの組織や活動の手本にしているところがある。そのことで頭をいっぱいにしてるなんてことは全然ないけどね。それに、「 La Marmite Infernale ラ・マルミト・アンフェルナル(地獄の釜)」とは、今世紀初頭のアナーキスト達が投げていた爆弾の名前なんだよ...
僕らを結びつけているものについてもう少し話したい。ジャズはいつも「出会い」の音楽だったけど、どこかのクラブでやるコンサートの間だけの出会いってことがしょっちゅうだ。でもARFIでは、出会いから生まれた結びつきは長いこと続く。例えば、トリオ「 Apollo アポロ」を何年も続けていくなかで、ジャン=リュック・カポッツォ と僕はお互いに高めあってきたんだ。僕がついこないだから、自分が独自のトロンボーンの音色と、僕ならではの才能を持っていると思うようになったのは、彼がこう言ってくれたからさ。「僕は君がソリストかそうでないか疑問に思ったことは一度もないよ。君がソリストなのははっきりしてるから」素晴らしい才能を持っているカポッツォだから、彼の言うことを信じられるんだ。彼の方は、自分がARFIで音楽を学んだと、いつも言っている。「以前は、何でも知っていた。即興もビバップも何だってできた。にもかかわらず、ARFIに入るまでは、僕はただの一度も"音楽"をやったことがなかったんだ」ってね。凄いことだよ。そしてこれは1回きりのコンサートでは起こらない。始まったら、いつ終わるとも知れないこと。
これを知らないミュージシャン達が、失うものは大きい。
(以下、次回に続く)