「つかの間のリーダー達による想像的民俗音楽」第5回、にして一応の最終回です。
むちゅかしかったよ〜〜〜ん(;_;)いよいよわけわかんないとこ続出で「なんじゃこりゃ?」と思われるかもしれませんが、それは全部私の責任です。すみません。
でも、これがほんの少しでも、ARFIに関心ある方々のお役に立てるなら、こんなに嬉しいことはありません。
第1回 17/07/98、 第2回 23/07/98、 第3回 26/07/98、 第4回 29/07/98と併せてお読みくださいませ。
次はいよいよルイ本人の短〜〜いエッセイに手を付け・・・られるんか??
L'ARFI D'AUJOURD'HUI
ARFI の現在
J.M.:
以前は、ARFIに費やす時間といえば、ミーティングとリハーサルとコンサートだけだった。今は、それができるのは18時から24時までって感じだね。決めたり準備したりしなきゃならないことの分量を考えると、ミュージシャンは書類とプロジェクトを山と積みあげた上に登って演奏の機会を狙うことになる。もう、日程を決めて演奏するだけではすまないんだ。
M.M.:
今ではコンサート以上に、誰かとの共演の企画、アトリエ、新作の企画なんかも依頼される。それぞれが面倒なプロジェクトで、ミュージシャンとしてだけじゃなく、主催者、教育者、企画全体の責任者として取り組まなければならない...
15年前、僕らは自分たちの音楽を世に知らしめ、観客と交流するために、自ら望んで音楽教育をやっていた。現在は、演奏を学びたいという人々のために教育機関の要請でやっている面が強い。でもそれは同時に多くを得ることができる体験でもあるし、アマチュアとの交流はいつも興味深いものだ。ただし、僕らが皆にわかってもらうように努力しているのは、ミュージシャンとはまず、演奏が好きなのであり、「ジャズの先生」と思われるなんて嫌だということ。そしてセミナーや共演は、リスクを分かち合って舞台に立つ喜びに至るものであるべきだということだ。
J.M.:
以前のARFIは、バンドのカタログだった。今では演劇のカタログでもあり、イベントのカタログでもあり、アマチュアとの共同作業のカタログでもある。確かにいろいろ重荷になってきているけれど、それは僕ら自身が望んだことでもあるんだ。
A.G.:
自ら種撒き、自ら収穫するというわけさ。活動を始めた頃、僕らは人々の役に立ちたいと思っていた。それはとても上手くいって、僕らは社会に役立っている。
P.C.:
それに公的機関は反動的になりがちで、人々が何を望んでいるか全然理解できなくなってしまうんだ。そんなとき、僕らがやっているような提案が、多くの行政責任者にチャンスを与えることになるんだよ。
VOTRE MUSIQUE A-T-ELLE CHANGE ?
あなた達の音楽は変化したか
J.M.:
変化したとも、していないとも言える。「フリー」は常に僕らのヴォキャブラリーの一部だが、フリーが全てだとか、僕らの音楽の根本を成しているというわけじゃないんだ。音楽をつくるとき、ある種の表現上のフィルターをかけることによって混沌のなかから何かがくっきりと立ち現れる。その何かが、僕らを別の何かへ導いてゆく。そういう瞬間が常にあるだろう。僕らの音楽は昔よりも構造的なものになってきている。
M.M.:
よりメロディや歌を求めているのかもしれないね。
A.G.:
3年前、スティーヴ・ワーリン (訳注:ARFIのアルバムへの参加も多い Steve Waring はUSA出身。「ウェアリング」とか読みたくなる苗字だけどフランスでは「ワーリン」と読まれているそうです)がオランピア劇場で行ったコンサートで、ARFIのメンバーが数人バックを務めた。そのとき、観客のなかに盲目の女性ピアニストがいてね。彼女が言ったんだ。「演奏はARFIのミュージシャンね。アタックでわかるわ」確かに、音やリズムやその「ずれ」具合に、ARFIらしさというのはあると思う。...いつだったか、クロード・バルテレミーに言われたよ。「ARFIには"名人"はいない。でもあなた達はステージで演奏することの何たるかを本当によくわかっている」ってね。
ET L'ETAT DE LA MUSIQUE ?
音楽状況について
A.G.:
現代は未だに「宮廷演奏家」の時代だね。紳士方が立派なホールで別の紳士方のために演奏するということさ。僕らは公園のミュージシャンだ。これは自分たちを卑下して言ってるんじゃないよ。紳士方が音楽をやってるというのに僕らがセミナーばっかりやってたら、そりゃ退屈だって。だって僕らのつくる音楽は彼らのに匹敵するものなんだから。でも、一種のバランスがとれるようになった。ルイ(スクラヴィス)をごらんよ。彼は宮廷演奏家のひとりになる可能性もあったんだ。人気も実力も兼ね備えた有名人だからね。でも彼はとても賢明だ。ホールで演奏するだけじゃ彼は満足しない。ときどき、彼はブラスバンドを教えたり、公園で演奏したりする。それは彼が必要としていることであり、音楽が必要としていることなんだ。
M.M.:
僕らの前に人々がいれば、いつも上手くいく。ワークショップやマルミト・アンフェルナルのコンサートの最中に、会場から客が出ていくという体験は一度もないよ。問題はひとつだけ、そこに人がいるかということで、どんな観客でもかまわないんだ。彼らがどんな音楽を聴いてきたか、あるいは聴いていなかったかにかかわらず、僕らがいれば、彼らは音楽を聴くことができる。音楽と正面からぶつかり合うんだ。だから、こんな風に言われたときは苛立つね。「へえ、マルミトってまだ続いてるんだ。未だに演奏してるの?」
そうとも、僕らは未だに演奏してる。それは当分終わりそうにない。
(この項おわり)